Meaning of Life

2013年05月15日
 ふと、とある台詞を言い換える。


  人生の大半は
   己の執着を見出だす為にある


 元の台詞は、映画「ワンダーボーイズ」の中で得た台詞。いや、厳密にはその映画の中に登場した映画の台詞であるから、ちとややこしい。
 

続きを読む
posted at 2013/05/15 08:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

船首の風景と船尾の風景

2013年04月10日
 船旅をする人には二種類の楽しみがある。

 船首に立ち、今にも船体に打ち砕かれんと舳先の下へ消えてゆく波と、その波の先に延々と広がる海原を眺める事。

 船尾に立ち、海面に泡立っては離れつつ消えてゆく遠ざかる白い波と、その波の先に延々と続く船の軌跡を眺める事。

 人は時には船首に立ち、風を真っ向に受けてその先のまっさらな海を眺め、そしてまた時には風緩やかな船尾に立ち、その後ろに伸びる白い航跡を眺める。

 時には過去の先端に立ち、時には未来の後ろ端に立つ。そのそれぞれが動物にはなく、人間故の特性なのだから。どちらも悪いとは限らない。
posted at 2013/04/10 23:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

毒食らうも善

2012年11月25日
 
 

     毒食らうも善
 
 
 
 
 
続きを読む
posted at 2012/11/25 12:26 | TrackBack(0) | 死生私観

春また春と恋し

2012年09月12日

 春また春と恋し
 夏まだ夏と働き
 秋もう秋と老い
 冬いつしか翌春を夢む

映太郎
posted at 2012/09/12 01:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

ねえやせっかく

2011年08月01日
父の訃報は笑い話のように滑稽なものだった。

Road to the Gate

飼い犬が死んだ理由を尋ねられた者は答える。犬小屋が焼けたからさ。さらになんで?と尋ねる者に彼は、家が焼けたからさ、と答える。そんな笑い話があったっけ。

栃木の警察から電話があってね、という母の最初の一言で結末は見えていたが、何年も前から判っていたその結末に話が及ぶまで、しばらく無駄な回り道をしていたのが、まさに滑稽だった。
 
続きを読む
posted at 2011/08/01 08:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

神の本質…その弐

2010年08月09日
 ふと思う。

 神様の本質って、やはり光なんだろうなぁと…。
 
続きを読む
posted at 2010/08/09 13:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

神の本質

2010年07月14日
 ふと思う。

 神様の本質って、やはり重力なんだろうなぁと…。
 
続きを読む
posted at 2010/07/14 20:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

僕は親指、君は人差し指、そして

2009年11月15日
 僕は親指、君は人差し指。
 彼は中指で、彼女は薬指で、それから小指は誰彼で…。

 そんな比喩が、ふとある日浮かびました。
 小指は愛人でとかって下世話な例えじゃありません。

 何を例えてるかって、そりゃ死生観ですよ。私なりのね。
 
続きを読む
posted at 2009/11/15 21:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

同業相憐れむとはしたくない

2009年08月20日
親の欠点を理解できない子は幸いであろう。
同じ欠点を授からずに済んだお陰で理解できずにいられるのだから。

親の欠点を理解できた子は幸いであろう。
同じ欠点を授かっちまったお陰で理解できることになったのだから。
 
続きを読む
posted at 2009/08/20 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

肉球と翼と憶えきれなかったモノ

2009年08月09日
 猫の手は小さい。

 ポウ:PAWと呼ばれる手の平は開けば開くものの、何かを掴めるものではない。彼らには大変失礼ではあるけれど、いつか昔の前の世に、持て余す程にでも物を持ち過ぎ、天の誰ぞやに罰でも与えられ、小さな手の平に変えられてしまったのかなと思えてくる。

 そのせいか、彼らが逆にある意味自由に見えてならない。物を持たなくなった分ゆえか、何かの呪縛から解放されたかのように彼らがとても自由に見えてならない。

 掴める手があるから掴んでしまうのか。貯めこむポケットがあるから貯め込んでしまうのか。
 
続きを読む
posted at 2009/08/09 15:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

暦見ずふと思い出す三越忌

2007年04月05日
 四月馬鹿は静かに過ぎて、暦はいつしか五日を刻んだ。

銀座三越





 暦見ず
  ふと思い出す
   三越忌
映太郎

 その入り口に佇むライオン像のような人だったな…。
 
続きを読む
posted at 2007/04/05 20:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

人という名の臆病な生き物

2007年03月23日
 ふと考えた。

 それはやはり人間だけなのかもしれない。
 
続きを読む
posted at 2007/03/23 23:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

生くるにも死ぬるにも離れざりき

2007年03月20日
 残されたヨハンナは、二人の関係をそう記していた。


 二人は
  生くるにも死ぬるにも
   離れざりき 

迷宮美術館「巨匠誕生!」NHK-hi 2007/03/12
“特集ゴッホとテオとヨハンナ”より 

 フィンセントとテオの絆の深さは知っていたつもりなのに、その言葉にはどこか特別な響きがあるような気がして、私は声に出さずも何度も何度も読み返してしまった。

「…死ぬるにも離れざりき……」
 
続きを読む
posted at 2007/03/20 07:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

無宗教ではなく無宗教な日本人

2006年12月19日
 自分は長いこと無宗教だと自負してきた。だが最近、ふとその確たる自覚に疑問を抱くようになってきた。そうか…、実は無宗教という言葉、何かが少し違うのかもしれんな。

 宗教を持たないという意味のいわゆる“無宗教”ではなく、
  実は“無”を無心に信じる“無宗教”なのではないだろうか?

 最近の若年層もまた無宗教を掲げる傾向は多々見られる。だがどうみても彼らの拘っているのは、一文字ズレた宗教である。

 彼らが妄信しているのは無宗教ならぬ、“無臭”教だろう。
 
続きを読む
posted at 2006/12/19 00:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

いつか一枚の葉に姿を変える時

2006年06月25日
 先日、職場一階中庭の緑地に立つ喫煙所で一服していた時のこと。まだ若々しい黄緑色の葉をたっぷりと茂らせた木々を眺めていて、ふとある言葉を思い出した。

 “新芽の芽吹く季節は、とかく人の生死が目まぐるしい”

 ふむ、季節は新芽時を疾うに過ぎている。新芽達はみなしっかりと成長して木々を助け、そしてまたそれぞれの新芽同士も、互いに助け合っているわけだ…。

「待てよ…!そうか!!そうだったのか!!!」

 私は思わず心の中で叫んでしまった。

「一本の樹に芽吹いた一枚一枚の葉って、もしやソウルメイトの一団なんだな!」
 
続きを読む
posted at 2006/06/25 02:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

人間って、結局は孤独だよなぁ

2006年05月17日
 人間って、結局は孤独だよなぁ…。

 墓ん中入る時ゃどうせ一人なんだしさぁ…。
 
 誰かと一緒に墓に入るとか言ったところで、墓ん中でも仕切られてるしさぁ…。

 第一、骨壷ん中じゃどうせみんな一人きりだし…。
 
続きを読む
posted at 2006/05/17 05:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

ピロリ菌に血と洗礼を考える

2006年05月16日
 兄の胃袋からピロリ菌が見つかったという。

 医者には、“ご兄弟がいらっしゃるのなら是非連れて来なさい”と言われたらしい。ふむ、出来はかなり異なるとはいえ、基本的には生理的構造になんら変わりはないはずだからなのだろう。

 兄が潰瘍になったのなら私も潰瘍になるのだろうし、兄が癌になったら私も癌になるらしい。

 まぁ兄が弟を欲しがったから現在の私が存在するのだ。物心ついた時からずっと兄を憧れ、兄を真似し、兄の価値観を踏襲して育ってきた。兄がもし癌を患うのだとしたら、私も願わずとも同じ道に嫌悪感は抱かない。
 
続きを読む
posted at 2006/05/16 06:09 | Comment(4) | TrackBack(0) | 死生私観

“不安定”こそ生きている証

2006年05月13日
 常連さんのコメントを読んでいたら、ふと考えてしまった。

 まぁその手の格言らしきモンを、思いつくまま気の向くままに自分流に吐いては他人に押し付けるのが嫌いではない。

 すべての存在というもの、それぞれが常に不安定に振動を続けては熱を発し、他の存在には自らの振動とその熱を伝播し、そしてやがて振動を止め、熱を失っては再び無へと消えていく。

 その振動とその熱とが存在の証ならば、不安定こそ生きている証拠となろう。裏返して考えるならば、存在が安定した途端、その存在は熱を失い、そしてその瞬間存在は無に変わる。

 不安定こそ生きている証。

by 狩馬 映太郎

 「マグノリア」のせいかも知れぬ。

 よせばいいのに再々度のレンタルで、毎日毎晩繰り返し観ている。この記事を書いている最中にも、―きっと今回のレンタルで十数回目に当たる―カエルの雨が轟音を立てて降り出し、画面は自らの雨で再び歪み始める。
 
続きを読む
posted at 2006/05/13 01:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 死生私観

そのケーキ誰のモノ?

2006年04月08日
 空だよ空。

 空があまりに心地よい色だったんだよ。

 それでね、ふと公園のベンチに独り横たわってさ、ボーっと空を見上げてみたんだ。


 広い空を見上げてみるとさ、視界の外に消えた周囲の景色も忘れちゃってさ、いつのまにか空の中に浮いているような気分になったんだよ。
 
続きを読む
posted at 2006/04/08 02:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

命日にふと思い出す祖父の事

2006年01月28日
 2006年1月某日、ふと父方の祖父のことを思い出した。

 私はその祖父に会ったことがない。家族の話には散々聞いているものの、直接には会うことのなかった祖父。

 私の今生において一瞬たりとも、この世に同時に存在することのなかった祖父。写真では何度も顔を見ていても、生の声を聞くことのなかった祖父。私が生まれる何年も前、年の離れた兄ですら生まれる一年前に亡くなった祖父。

 突然そんな祖父のことを思い出したその日、私は祖父の命日がいつだったかふと気になり調べて驚いた。

 「今日だったのかぁ…。
 それもきっかり50年前の今日だったとは…。」
 
続きを読む
posted at 2006/01/28 18:02 | Comment(1) | TrackBack(0) | 死生私観

長い旅の終わりに…

2005年12月13日
 それは一体誰の言葉なのか…。


 The soul comes to the end

  of it's long journey...

 and naked and alone

  draws near to the divine...
 

 “Divine”って、まさかあのディバイン?

 そりゃ恐ろしい。どおりで…、人が何よりも死を恐れるわけだ…。
 
続きを読む
posted at 2005/12/13 07:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

甘い蜜に浮かんだ悲しい二人

2005年11月15日
 こんな注釈を添えるのは始めてなのだが、虫の苦手な方は読まない方がいいかも知れない。だが本当は虫についての話というより、悲しい物語とでもいうべきか、とても不思議な光景のお話である。

拡大する?
甘い蜜の中に
 小さな命が息絶えている

だが…、
 それは驚きの光景だった

 あぁ…。なんか無駄な殺生を思いっきり後悔させられてしまった。
 
続きを読む
posted at 2005/11/15 05:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観

この世とあの世の身近な例え

2005年11月09日
 ふと考えた、この世とあの世について…。

 こちらの世界からあちらの世界はまったく見えない。だが逆に、あちらの世界からこちらの世界はどうもよく見えているらしい。

 師と呼ばれる人々はよく言う。天上の者は地上の者たちを見守っているのだと。だが、地上の者は天上で見渡す者達の存在をよく忘れている。

 その二つの世界、ふと身近なことが似通って思えた。
 
続きを読む
posted at 2005/11/09 10:19 | Comment(1) | TrackBack(0) | 死生私観
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。