死刑囚の罪と罰と死後の立場

2005年11月15日
 その者その罪により罰を申し渡され、長き緑の廊下を歩み、その奥に待ち受ける固く冷たい椅子に座る。

 やがてその者その時を迎え再びその席を離れる時、その身体冷たくともすでに清く、もはや罪人にあらず。

グリーンマイルグリーンマイル
(1999/アメリカ)
出演 トム・ハンクス(看守主任)
   デイヴィッド・モース(副主任)

死刑囚と刑務官の物語。―刑を終えた死刑囚までもいたぶる新米刑務官を副主任は叱り付ける。「彼は罰を受けもう罪人ではないんだぞ!」

 死刑という刑罰を科せられ死刑囚が死を迎えた瞬間、彼は刑罰を受け終えたことになるはずなのだが、靖国神社に眠るかつて死刑囚と呼ばれた方々の場合は、どう受け止めればよいのだろうか。
 


 日本海を挟んだあの赤く大きな隣国から、またまた厳しい批判の声が聞こえてきた。

ヒトラー例えに靖国批判
―中国外相、訪問先の韓国で―
 中国の李肇星外相は15日、「ドイツの指導者がヒトラーやナチス(の追悼施設)を参拝したら欧州の人々はどう思うだろうか」との表現で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難した。

 外相は「あれほど多くの人々を傷つけた戦争を発動した戦犯を日本の指導者が参拝することで、アジアの人々の気持ちが傷つかないかどうか、日本人は考えたことがあるのか」と指摘。参拝中止に向け「基本的な善悪の観念を持つべきだ」と訴えた。
(Yahoo/海外ニュース/共同通信/2005/11/15 18:37)

 私は基本的に靖国神社への公人による公式参拝に反対である。

 だがよくよく考えて見れば、あの地に眠る多くの人々の中で、死刑によりあの地へと納められることになった一部の人々も、たった今―つまりは彼らが死を迎えた瞬間から現在へ続く現在形の表現としての今現在―彼らは未だに罪人なのだろうかという疑問が沸いて来た。

 冷静に考えれば彼らは罰を受けた結果としてあの地に眠っているのだ。“命をもって償うべし”と申し付けられ、その通りにその命を差し出したのなら、彼らは罪を償い終えたのだからもはや罪人ではない。

 赤き国の外相は、その彼らをヒトラーに例えたが、これもまた微妙にズレているようで、問題を複雑にしそうである。

 ヒトラーは自殺している。彼は罪を償ったのか。

 自らの命をもって罪を償う姿と受け止めることもできなくはないが、どう考えても彼はその先に見えた自らの大罪に匹敵する大きな罰を逃げ死を選んでいる。

 だとすればヒトラーはまだ罪人である。そんなヒトラーに靖国の地に眠る人々を例える隣国外相のコメントはやはりズレているとしか思えない。 



 と、まぁ中国側の意見に反論をしてみたところで、靖国神社の公式参拝反対を覆すつもりはない。そもそも中国があれだけとやかく言っているのも、国内問題から人民の視線を逸らす為だとしか思えないし、そんな小手先の外交姿勢の相手などせんでよい。

 かく言う私の反対理由は、“政教分離の原則に反する”という点だけである。まぁそれはそれで“みんなああだこうだ言ってる会”がみんなで千鳥ケ淵戦没者墓苑に行ってくれたら済むことである。その方がまだ許せるという問題なのだ。

 それにしてもグリーンマイルの副主任のセリフは、映画の中だけの話なのだろうか。私にはそうは思えない。

 死刑囚が例え納得していなくても、例え抵抗したとしても、その刑が執行された瞬間、やはり客観的には罪を償ったとしか言わざるを得ないのだから。

 なにやら反靖国なんだか反中国なんだか反自民党なんだか、自分でも複雑に絡んで判らなくなってきちまった。なんだかなぁ…。

 念の為繰り返すが、私は一応基本的に靖国神社への公人による公式参拝には反対である。
posted at 2005/11/15 23:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報道批評
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