ゴッホを想うゴーギャンの一枚

2005年11月13日
 ゴッホと言えば、やはりヒマワリだろう。

 数多くのひまわりを描いたゴッホ。彼のことを思い浮かべる時、私の脳裏に浮かぶのはこの一枚である。

「still_life_with_sunflowers_ on_an_armchair_by_gauguin」 by a-taro肘掛椅子に飾られた向日葵
by a-taro karma

このヒマワリがキャンバスに描かれたのは、ゴッホの死後11年目の夏。その数年後ゴーギャンはこの世を去った。

 彼、ゴーギャンがどんな気持ちでそのヒマワリを飾り、どんな想いを込めてその絵を描いたのか。その経緯を知った時、私の眺めていたヒマワリは涙で歪んだ。
 


 先日、山口智子がBS日テレ開局5周年企画とやらで、ゴッホゆかりの地を訪れていた。彼女は関連書籍を片手に、ゴッホが辿った地を巡っていく。

 ゴッホ自殺の地を訪れた山口智子。自殺を失敗し歩いて帰ったという道を同様に歩いて辿る。

 瀕死の状態でその道を歩いたゴッホを思い浮かべ彼女は一言。
「強靭な体力と精神力だったんですね…」

 そういう問題なのか…。
 なんか、キャスティングがズレてるような気が…。



 日テレの微妙なタッチのドキュメンタリーはともかく、ふとNHKが半年ほど前に放送していたドキュメンタリーを思い出した。

 ゴッホとゴーギャン。二人の対照的な画家が、ふとしたことから共に創作活動に専念できるような場を夢に見て、アルルで共同生活を始める。

 ゴーギャンは約束の期日をだいぶ過ぎたある日、ゴッホの住む村に到着する。とりあえずはカフェで一杯と、ゴーギャンがある店に入ると、店の者は彼に言ったという。

 「あんた、ゴーギャンさんだね…」

 ゴッホは、ゴーギャンが来るのを待ちわび、彼の絵をカフェの者に見せていたという。

 約束に遅れる友と、待ちわびていた友。ゴーギャンが到着した時点で彼らの想いにはすでに温度差があった。



 画家としても、根本的に二人の表現法は対照的だったという。

 対象を目の前に置かないと描けないゴッホ。逆に、想像だけで自由に描こうとするゴーギャン。その基本的なスタンスの違いはやがて二人を衝突させる。

 NHKのドキュメンタリーではその頃のゴーギャンの描いたゴッホの絵を分析解説していた。ゴッホを見下すように上から描いた作品があるという。

 やがてゴッホは精神に異常をきたし耳を切り落とす。結局ゴーギャンが村を去ったのは、たぶんその頃なのだろう。二人は理解しきれないまま別れることになる。

 それから約10年後、1890年7月29日ゴッホはこの世を去る。



 さらに10年ほどたった1901年夏、ゴーギャンは光を求め創作の場を移したタヒチで、ヒマワリの絵を描いている。

 肘掛椅子に飾った向日葵

 都合二枚の向日葵の絵が描かれたらしいが、その二年後、1903年5月8日ゴーギャンは心臓発作によりこの世を去った。ゴッホの死より13年後のことである。

 ゴーギャンはその向日葵を描くため、わざわざ種を送らせたという。

 “想像で絵は描く”…と創作してきたゴーギャン。その彼が、種をわざわざ調達したということは、きっとその椅子の上に飾られた向日葵は、本当にゴーギャンの目の前のアームチェアーに座っていたのだろう。

 ゴーギャンが、その創作方法を否定していたゴッホの為に、ゴッホの死後10年以上たってから描いたヒマワリの絵。そのヒマワリの絵は、ゴーギャンの絵であり、そしてゴッホの為のゴッホのヒマワリでもある。



 ゴーギャンがこの“肘掛椅子に飾られた向日葵”を描いた時、彼がどんな気持ちでどんな想いを込めて絵筆を持っていたのか…。

ゴーギャンのヒマワリ肘掛椅子に飾られた向日葵

by ポール・ゴーギャン
 for フィンセント・ファン・ゴッホ

 その想いを想像する度、私の好きなこの絵は歪んでしまう。
posted at 2005/11/13 23:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 絵本批評
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