価値観の逆転した渦に陥る時

2005年11月12日
 ふと何かのニュースを見て思った。

 もう随分前のことなので、何の事件のどんなニュースから思いが浮かんだのかも忘れてしまったのだが、考えはふと人間のある価値感の逆転現象に思い至った。

 例えばある人が、1万円にも満たぬ程度の定職とその収入を失うのを嫌い、不本意にも例えば百万円ほどの悪しき大金を手にし、そして不運にも同時期にその悪しき習慣が発覚し、定職と固定収入と、そして本人は当てにもしていなかった泡銭を失う。

 世の中、そんな矛盾した状況に、不本意に陥る人もいるのでは…と、ふと思えた。
 

 
 何かの悪しき習慣があり、例えばその環境もしくは仕事場などで、心情的には不本意でも立場的には拒めぬ状況にあったなら、そんな不運も有り得るのではないだろうか。

 失いたくない物が時に友情だったり、時に学校の成績だったり、また社会人だったら単調でも満足していた仕事だったり、やっと手にした地位だったり…。

 冒頭に上げた一例は、大小問わず蔓延る賄賂のような物を想像した話ではあるが、例えを広げれば様々な状況に当てはまるだろう。

 数千円程度の万引きが発覚するのを恐れ人を殺してしまったりなんて話も聞いたことがある。

 三面記事のトピックを並べてみれば、そういった価値観の矛盾した逆転がいくらでも拾い集められるものだ。

 ある日のワイドショーのコメンテーターたちは、その矛盾した価値観を時に悲劇と称し、次の日には皮肉な巡り合わせと説明し、また別の日には哀れな運命と同情することもあれば、異常性格ゆえの結末と片付けることもある。

 そんな事件の容疑者たちというもの、事件に至る時系列の中で、明らかに矛盾しているはずの“逆転した価値観”の渦に陥った瞬間ときっかけがそれぞれに存在するのではと思える。 



 とかく人というものは、同時に存在する二つの事柄の価値を比較することはできても、時系列のずれた二つの事柄、つまりは現在形の小さなことと、未来形の可能性を否定できぬ大きなことの価値を、比較判断するのがどうも苦手なように思える。

 「そんな未来のことなんて判る訳がないんだし、無理も無いだろう」…と、人は言う。心配性で、強迫観念に満ちた人間の考えそうなことなんて言われ、片付けられてしまいそうである。

 だが、歴史に残る戦争にしたって、どうしてそんなきっかけで戦争にまで発展するのか…といった事件や出来事や瞬間が多々存在してきたではないか。

 人というもの、その“逆転した価値観の渦”に陥る瞬間を感じることができたら、少しは苦労も減るように思えるのだが…。
posted at 2005/11/12 03:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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