この世とあの世の身近な例え

2005年11月09日
 ふと考えた、この世とあの世について…。

 こちらの世界からあちらの世界はまったく見えない。だが逆に、あちらの世界からこちらの世界はどうもよく見えているらしい。

 師と呼ばれる人々はよく言う。天上の者は地上の者たちを見守っているのだと。だが、地上の者は天上で見渡す者達の存在をよく忘れている。

 その二つの世界、ふと身近なことが似通って思えた。
 


 長年可愛がったペットが突然いなくなったら、飼い主はどういう行動を取るだろう。

 可愛がったペットが迷子になる。散々探したあげくに見つけたものの、迷い込んだ動物好きの家ですっかり世話になっており、いつしかそこがまるで生まれ育った家であるかのように振舞っていたら。

 元の飼い主やパートナーは無理に引き戻したり、言葉の通じないペットに説き聞かせようと試みるだろうか。

 我ながら複雑な問いである。ペットが可愛いければ可愛いほど連れ戻したくなるだろうし、だが同時にその瞬間居心地の良さそうなペットに無理強いをしたくないという気持ちも沸くかも知れない。

 例えがペットならまだしも、幼児誘拐などの多発する海外などでは、似た状況が幼児と生みの親の間で現実に起こりうるという。



 例えの表現は別として、私にはその両者の関係が、ふとこの世とあの世の関係に似ているように思えたのだ。

 自分の知らない世界から誰かが見守っている。その存在は神かも知れないし、かつてのパートナーや友人、家族かも知れない。先に旅立った人々が、かつての愛する者のことを見守っている。

 “ここ”に来た理由、“ここ”に居る理由を何も知らず、いや正確にはきっと何もかも忘れ、よって自ら思い出そうともせず、今我々はこのまさしく“今生”をただ無心に生きている。

 生まれる前にいたかも知れないあの世や、その前の生、つまりは前世も中有も、ただ忘れているだけかも知れない。



 天上から見ている人々は、どうせそのうち“ここ”へ来れば判るだろうからと、あわてて無理に教えようともせず、ただただ黙って見守っているではないだろうか。
posted at 2005/11/09 10:19 | Comment(1) | TrackBack(0) | 死生私観
この記事へのコメント
ここ数年こんなことを思った。人の死とは”存在しないことを認めていく作業”なのではないかと...
そう、今まで存在していたものが瞬間移動で温もりを残して消え去る。暫く涙は出なかったが、ある日スーパーで故人の好物を偶然に見つけた時にその作業を初めてした。涙が次々と溢れて止まらず...
Posted by バジル at 2006年04月02日 17:39
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