イルカの海と人間の海の水質

2005年11月06日
 イルカが群れをなして悠々と泳いでいる映像を見た。

フレンズ オブ マン [ポスター]イメージ映像ならぬ
イメージポスター…

 家族を持ち、仲間とも団体で行動し、会話によって互いにコミュニケーションを計り、そして若い世代には教育をする。

 彼らが泳いでいるのを見ていたら、知能の有無やその優劣の目安が判らなくなった。
 


 ドキュメンタリー映像などでは、無機質な機材や人間という異種のカメラマンに対してもまったく敵意や恐怖心を抱かず、それどころか異常なほどの好奇心から寄り集まり、一緒に泳ぎたくてしょうがないといった表情を見せてくれる。

 あの好奇心に満ちた瞳は、その奥に潜む聡明な知能を感じさせ、敵意のない表情は何かを悟りきったようで、まるで我々よりも数段上のソウルマスターが地上の喧騒を見ていられず、休息がてらに泳いでいるようにも思える。

 互いにどんなことをやり取りしているのか。彼らのコミュニケーションはどこまで解明されているのだろう。

 彼らと直接コミュニケーションが図れるほどの知恵を、人間は未だ持ち合わせていない。そんなこともできないうちは、我々の知能の程度もまだまだ大したことないのでは。



 人間だって、かつてはイルカと同じ海を泳いでいた。だがその海をいつしか離れ、今、別の“新たな海”を泳いでいる。

 だが、その“新たな海”の大気は、彼らの泳いでいる海の水とはまったく異なる。人間が泳ぐ“大気の海”は、イルカが泳ぐ海の水よりもずっと濁っている。

 海水汚染とか、大気汚染の話ではない。

 過剰な闘争本能、同種同士の異常な敵意、歯止めの効かなくなった飽食、排他的過ぎる生存本能…。

 人が急激な進化を遂げ始めたのは、声帯の発達がきっかけだったという話を聞いたことがあるが、コミュニケーションを計れるようになってから現在の人間に発達するまでが、単純に一直線に結ばれるとは思えない。

 人間という動物は、もう一つの何か邪悪なきっかけを踏んでしまった果てに、現在の人間のような利己的排他的な種に進化してしまったのではなかろうか。 

 コミュニケーションが同等に発達していると思われるイルカたちが、実はあえて踏んでいないきっかけを…。

 人間というものは、過剰となった生存本能の大気の海を、海を一瞬飛び出すイルカのようにすら抜け出すことができない。



 さて、イルカが悠々と泳いでいる。

 あと数世紀もすれば、人間はこの現実の大気の海をも完全に脱出することができるだろう。だが、さらに数世紀が経っても、たった今イルカが海の中で悟っていることすらを知ることはできないかも知れない。
posted at 2005/11/06 03:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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