堕ちた天使の宿題と先生たち

2005年11月05日
 アクターズ・スタジオ・インタビュー「ロビン・ウィリアムス 自らを語る」の再放送で紹介された、ロビン・ウィリアムス出演映画のワンシーンを見て、私はふと考えた。

 ロビン:天使が舞い降りた感じだ…

 映画のタイトルは忘れた。だが、その内容はどうでもよい。“舞い降りた天使”という言葉が、妙に頭にこびり付いた。
 
 厳密に言えば、耳にした“舞い降りた天使”という言葉から連想した“堕ちた天使”という言葉である。連想は連想を呼び、ついには“放り落とされた天使”という考えに発展した。

 もしかすると…、
 人間は皆がみな堕ちた天使なのではと思えてきた。



 もしかすると…、
 あの世は神様が実はたくさん居て、この世のような世界を構築しているのかも知れないと思えてきた。

 もしかすると…、
 そんな二つの世界の片一方のこの世界に、天使は舞い降りたのではなく、実は堕ちて来たのではと思えてきた。



 もしかすると…、
 人間がただただ生きることはやはり試練であり、この世の絶え間ない日常は、何かの罰なのではと思えてきた。

 もしかすると…、
 たまに起きる天災や事故による突然の不幸な死は、何かを達成した末に垂れ下がる蜘蛛の糸、救いの道の入り口なのではと思えてきた。

 もしかすると…、
 人は、宿題の手直しを何度も言いつけられた子供のように、この世とあの世を行ったり来たりしているのではと思えてきた。



 だって…、
 生まれたばかりの赤ん坊が誰かにきつく叱られたかのように泣きわめき、死に逝く老人が誰かに誉められた子供のように幸福そうな顔をしている事を思い返せば、やはりどう考えても向こう側に厳しい先生がいるように思えてくるではないか。

 きっと…、
 どんなに厳しい先生がたくさん居ようと、向こう側へと旅立つ者たちの安らかな顔を見ると、やはり向こうの方がここよりずっと居心地が良いのだろうと思えててきた。

 まぁね…、
 だからといって自ら死を急いだとしても、きっとそこへは辿り着けないとは思うけどね。
posted at 2005/11/05 14:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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