月曜ゴールデン
シリーズ激動の昭和
〜3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実〜
放送 2008年3月10日(月)21:00〜
出演 仲村トオル
原田泰造
竜雷太
酒井美紀
筑紫哲也
数時間で10万余りの犠牲者を出した東京大空襲の犠牲者を弔う特別な施設はないのだという。名も無き遺骨が溢れるほどに詰め込まれた骨壷が今現在安置されているのは、関東大震災の犠牲者を弔う施設なのだそうだ。
以前から一度は訪れてみたいと思っていた例の地。その手の姿が特に見えてしまうわけでもない私でさえ、いざ近くまで行くとどうにも尻込みしてしまう。
まぁ見えるか否かも訪れるか否かも別にして、それにしてもどうしてあのような人の仕業が一切裁かれずに忘れ去られようとしているのかをふと考えてしまった。
六十余年前のあの三月十日のあの“無差別殺戮”を、模擬裁判でもいいからどうして誰も裁こうとしないのだろう。
いまさら誰を吊るしあげるわけでもなく、いまさら誰かの国に補償を求めるわけでもなく、いまさら誰に謝ってもらおうというわけでもなく、ただ事実としてその“許されざる事”の“許されざる程”をいまさらの近代史現代史に添え書きのように記してもよいと思うのだが…。
どうして誰も裁こうとしないのだろう。
あの当時の終戦直後の混乱に乗じて発布されたアメリカ製日本国憲法を再考しようという時代なのだし、現代の混乱に乗じて当時のアメリカの選択を裁いても誰も文句はあるまい。
「主文、被告アメリカ国家を、・・・・・に処する。」
実際関係者の名誉への影響を案ずるならば、すべての関係者が故人となるだろう20年後あたりにでも誰かしてくれればそれでもよいのだが…。
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追記…。
ついでではあるが、あのバター臭甚だしい米製国連を脱し、万国完全平等の新国連というものを、できれば日本人にでも創設してもらいたいと最近つくづく思う。