プチ修行って…?

2004年09月30日
最近、都会の喧騒にストレスを感じる人々が、プチ修行をしてるらしい。
お寺での座禅や住職の法話を求めて、仕事帰りに夜な夜なお寺に通っているそうだ。

≪いまなぜ?「プチ修行」ブーム
密着!"山伏"体験の女たち
ザ・ワイド/日テレ/2004/09/30/13:55≫…を見た。

番組では、仕事帰りに通えるような都会のお寺の座禅会から、数泊の短期合宿風山伏修行などを紹介していた。

まだ薄暗い早朝、山道を裸足で滝つぼまで歩き、身を清めることから合宿修行は始まる。
(…裸足かぁ、痛そうだな…)

---滝に打たれた女性の言葉
---『音とか聞いてると、だんだんボンヤリしてくるんですよ』
(…〜ん、それってトランス状態ってやつだな…)

---山登りの後に、山頂では参加者がみな達成感に浸っていた。
(…山登りが初めての子供の顔みたいだな…)

---小さな部屋に煙を焚いて、中で何か修行をしていた。
(…苦痛と忍耐と解放感…マインドコントロールのようだ…)

ふと、参加者の言葉を聞いていて、なぜか漠然とした懐かしさかすかな不安を感じた。

私もかつて、千葉の山奥の旅館でバイトをしたことがある。都会っ子だった私には、修行のような生活だった。旅館の裏にある畑の作業に通っていた年寄りによく言われた。
『都会の人は地に足がついてないのう…』
(…地に足?・・・)

さて、合宿参加者の日常として映った都心の通勤風景をみていたら、その年寄りの言葉が再び聞こえてきた。『地に足…?』

そっか、地に足がついてないな…我々は…東京に住んでる人はみな毎日アスファルトの上を歩いている。仕事も、通勤も、家に帰っても…。東京には地面なんて無いんだから、地に足がつくわけない。20年経って今頃納得した。参加者が無意識に求めていたのは、これだったのか。

私が年寄りにその言葉を聞いたのは20年ほど前のこと。参議院選挙に、ゾウのマスクを被った若者が駅前で踊っていたあの頃のちょっと前のこと。

懐かしさと不安…
年寄りの言葉に懐かしさを覚えるのはよしとして、
富士の裾野に再び、おうむが舞い集まる兆しでなければいいのだが…。また一つ余計な不安が増えてしまった。

念のため書き加えておきたい。番組で取り上げられていた参加者を論評しているつもりは全く無い。
番組が扱った修行や宗教というものに、精神的な癒しを求めたくなるような都会のアンバランスな環境。それがまるで食生活において、何か特定要素の不足時に、それを含有する食べ物を無意識に食べたくなるという話に似ている気がしただけである。本人は訳もわからず急に果物が食べたくなったりするように…。
都会の人々はまるで何かの野菜の様に、ある時は自然に身を置きたくなり、またある時は静寂に無想の境地を求めるのではないかと、思えただけなのだ。
posted at 2004/09/30 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 放送批評
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