星の数ほど存在する安住の地

2005年08月21日
 どこかで目にした星の数に関する記述に、結構興味深いものがあったのを思い出す。

[ポスター] ソンブレロギャラクシーSombrero Galaxy

 地球が誕生して以来今現在までに、この地上に誕生し死んでいった生命の数と、宇宙に存在する星の数は、天文学的な数値でありながら、漠然と一致しているのだという。
 
 あれはアーサー・C・クラーク氏の言葉だったか、スタンリー・キューブリック氏の言葉だったか。それとも、二人が共同執筆した映画「2001年宇宙の旅」の原作の中の台詞だったか。忘れてしまった。

 星の数だけの命なのか、それとも命の数だけの星なのか。どちらがどちらに合わせて存在するのかは知らない。

 だが考えようによっては、その命が死して辿り着く“彼の地”ともとれるし、いやそれどころか、その星に辿り着くのではなく、その星そのものになるのかも知れないとも思えてくる。



[DVD] コンタクト 映画「コンタクト」の中で、ジョディ・フォスター演ずる主人公の父の言葉が、全編の中で何度かキーワードのように使われていた。回想シーンの中で、幼くして聡明なその女の子は、父に何気なく質問する。

 「よその星にも、人はいるかしら?」
―Do you think there's people on other planets?

 娘のそんな問いに、父は優しく答える。

 「どうだろう…。でもパパに言わせれば、
―I don't know, Sparks. But I guess I'd say...

 地球人だけじゃ、広い宇宙がもったいないよ。」
―if it is just us...it seems like an awful waste of space.

 宇宙を意味するスペースという言葉が、また巧い具合に絡んでいるのが面白い。



 “生きとし生ける者”そのすべてにとって、この広大な宇宙はまったくもって“モッタイナイ”ものだと、映画は、つまりはカール・セーガン氏が言っているのだろうが、これが“死して魂となった者”そのすべてにとってならどうなのかを考えてみると、一体そのスペースが広いモノなのか狭いモノなのかは、ちょっと判らなくなってくる。

 自分の分の星も、どこかに存在するのか。
 だがだとしたら、それもそれで寂しそうだな。

 一つの魂としてその広さを想像すると、その地がこの世であってもあの世であっても、それが地球の上であろうと宇宙の彼方であろうと、まったくもって魂とは孤独なもんだと感じずにはいられない。

 広さを身近に実感すればするほどその漠然とした孤独感は増大し、財津一郎が憑依しそうである。

「さみしぃ〜っ!」
posted at 2005/08/21 22:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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