ボ〜ントゥビーワ〜イルド♪

2005年08月18日
 排気音が聞えるか、メロディーが聞えるか。目に映るものが耳に蘇らせるものは、人それぞれであろう。

[ポスター] イージーライダー [PB-657]Born to be Wild ♪

 人によってはせっかちで安っぽい“ゴッドファーザーのテーマ”や、永ちゃんの歌声が聞えているかも知れない。
 


 バイクを手放してからもう彼是17、8年になるが、たまにふと乗りたくなる。同様の輩は巷でもかなり多いらしく、昨今は“旧車会”なるものも流行っているという。

 夜ごと夜な夜なかつての馴染みの仲間が結集し、再びアクセルを吹かす彼らの気分も判らなくもない。だが、集団走行などしたことのない私には、やはりあの走り方は理解できないところがある。

 映ちゃんこと映太郎は、たった一人のんびり走るのが好きだった。まったく…、それはそれはワビしぃライダーだったわけだが、まぁ結局のところは、夜な夜な結集するバイク仲間など一人もいなかったのだ。私がバイクの魅力を知った頃、仲間はとっくにバイクを卒業していた。侘しい思い出である。



 私が飼った、いや駆った愛車は、友人から中古で買ったカワサキのバイクだった。

 KAWASAKI Z-LTD 400

 カワサキのZに乗っていたと言うと、すぐその手の方々によく間違えられた。だが、薄めのシートに高めの一文字ハンドルは、出生は川崎でもスタイルは完全なアメリカンだった。まぁマフラーは直管のサイドカットだったから、音だけはその手の方々には負けなかったが。

 バイト先の店長にはよく言われた。
「君が来るときはすぐわかるよ。数ブロック先から咆哮が聞えるからね」

 出先ではお構いなしだった私も、さすがに自宅に帰る時だけは近所に気を使っていた。よく早めにエンジン切り、惰性で自宅前に滑り込んだ記憶がある。

 あんな集団走行は理解できないなどと言い切ってみたものの、周囲の迷惑を顧みなかったあの爆音を今にして考えてみれば、走り去る静かな街並みに轟かせた、あの低く重い咆哮の心地よさに、何か同様のものを感じていたのかも知れない。

 同様のものが一体何なのか?

 理解できる方なら理解できるだろうし、理解できない方は考えても無駄かも知れない。

 Born to be Wild ♪

 私だって、どちらとも言えない。



 ところで、先日映画編集に関する番組で、「イージーライダー」を紹介していた。

 私はこの映画を何度も観るほどのファンではないが、あの不思議な雰囲気は忘れない。だが、一文字ハンドルのアメリカンバイクに跨っていた脇役のデニス・ホッパーが、この映画の監督だったとは、知らなかった。

イージー・ライダーイージー・ライダー
―Easy Rider―
(1969/アメリカ)

 番組の中で紹介されていた逸話が面白い。
 当時、出来上がった「イージーライダー」の試写を観て、製作会社の社長は微妙な賛辞を述べたらしい。

 「私にはさっぱり判らん。だが、これは儲かるぞ!」

 社長の不思議な読みは当たり、この映画はアメリカンニューシネマの代表として名を残すことになったという。



 年代的には明らかにイージー・ライダーのブームを追いかけたと思われる映画「バニシング・ポイント」は、設定を少し変え陸送ドライバーを主人公にしていた。

 イージー・ライダーを製作したコロムビアの儲けの倍ほどに稼ぐつもりだったのか。「バニシング…」の20世紀フォックスは、主役に四輪車を与えている。

 70年型、白のDodge Chargers…

バニシング・ポイントバニシング・ポイント
―Vanishing Point―
(1971/アメリカ)

 アメ車にはあまり詳しくないのだが、ダッジにはチャージャーとチャレンジャーがあるのか? うる覚えの台詞では、たしか「チャージャー」と言っていたような気がするのだが、詳しい方がいらっしゃったらお教え頂きたい。

 それはともかく、二輪と四輪という違いはあれど、この「バニシング・ポイント」には、「イージー…」と同様のコンセプトが感じられる。

 かなり高めに設定された音楽の比重、視覚的にはスピーディーで精神的にはスローな主人公たち、似通う雰囲気に一味は変えたエンディングの根本的な共通点。

 今までのお気楽なハッピーエンドに慣れていた当時の観客をいきなり放り投げるような結末は、一味変えたシナリオとはいえ、鑑賞者に共通した複雑な感覚を突き刺す。



 「イージー・ライダー」とよく比較される「グライド・イン・ブルー」も、同種の衝撃を結末に据えていたが、主役の役どころも結末へのプロットも実に対照的で、共通しているのはなんとも言えぬ後味だけだった。

 製作のユナイトは、イージーライダーに遅れること四年後、心に気づかぬ闇を抱える主役を再びバイクに乗せている。

グライド・イン・ブルーグライド・イン・ブルー
―Electra Glide in Blue―
(1973/アメリカ)

 シカゴを聴きまくっていた兄貴が薦めた理由がやっと判った。
 監督のジェームズ・ウィリアム・ガルシオは、ロックバンド「シカゴ」のプロデューサーだった。キャストやスタッフなんて今まであまり気にしなかったから、まったく知らなかった。

 だがこの映画も、あの衝撃的でやりきれないラストシーンは忘れられない。メインコンセプトは“恩を仇で返す”ってか…。



 ちなみに話はそれるが、「大地震(1974)」のチャールトン・ヘストンとエバ・ガードナーも、「ディア・ハンター(1978)」でのクリストファー・ウォーケンも、あまりにあっけない死や、どう考えても許せない死を演じされられていた。

 まさかとは思うが、この二作も一連の流れなのだろうか。年代的にも内容的にも少々ズレている気がするが、その結末の意外性とやりきれなさだけは共通している。

 ニューシネマの風が、パニック映画や戦争映画に辿り着くにはかなりの時間を要したということか。



 実は三作品とも公開当時には観ていないのだが、“ハイスピードでスロースピリッツでサドゥンデス”という一連の映画の中で、私の一番のお気に入りは「バニシング・ポイント」だった。かつてトヨタのダルマセリカに乗っていたから…それが理由である。そんなもんなのだ。

 フロントグリルに深めに設計された四つ目の丸いライトのフロントマスクの雰囲気が、ダッジのそれと微かに似ていたのだ。
 まぁ実際はあれほどスマートなボディではなく、かなりずんぐりむっくりなクーペだったが、白いクーペというだけでそっくりだそっくりだと言っては満足し、テレビ放映の音声を録音してカーステで流していたほどである。



 奇しくも、その愛車は同様の結末を迎えることとなる。もちろんドライバーはこうして生きているが、車は即死状態だった。

 あぁ愛しいセリカよ、南無阿弥陀仏〜。

 それにしても技術もないのに、あの頃は訳もなく飛ばしていたものである。何を考えていたのか、何も考えていなかったのか。

 あの事故は、映画のシナリオのせいなんかではなかったのだろうか。ダッシュボードに飾っていた、富士の裾野に散った高橋徹氏のせいなのか。 

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。

 だが、一味違う現実の結末を身勝手に裏返してみれば、ドライバーが助かったことこそ、高橋氏のお陰なのか。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。



 物はついでに、同世代のセリカリフトバックを同時期にあっけなく殺した友人の代わりにも唱えておくか。友人は私同様、即死のセリカの中でかすり傷一つなく生還した。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。

 今では、そう簡単には死にそうもないベンツを駆る矢口の渡しのマサクンは、元気に大人しくしてるのだろうか。安全性も信頼できるが、その分スピードも不必要に期待に応えてくれるというから、念仏を唱えさせないで欲しいものである。

 “ハイスピード&スロースピリッツ&サドゥンデス”は、映画の中だけいい。
posted at 2005/08/18 01:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映像批評
この記事へのコメント
チャージャーとチャレンジャーの件、お答えします。
端的に言って、別車種です。
たしか、チャージャーはフルサイズクラス、チャレンジャーは、ひとつ小さいインターミディエイトクラスです。
当時は、チャレンジャーでも、中間サイズだったんですね。
私も、原音聞いたら、やっぱり「チャージャー」って聞こえましたね。多分、字幕もチャージャーだったような。「おいおい」って思いました。ただ、もしかすると、発音が似てるせいなのかもしれませんが。

この映画は、私も見る度に、一種の感慨と疑問を持つんです。
ただ、いまだ疑問なのがラストでスタッフの名前なんか出てくる所で、背景にどうもドキュメントのように写してて、爆発炎上した車内から頭部の死体を取り出して戻すようなシーンとか最後には社内からひきづりだして、それを投げ捨てるようなシーンがあるんですけど、あれは何なんでしょう?
スロー再生、コマ送りしてみたらどうも人間の頭髪のついた頭部を一旦検死者が取り出していたり、消火してる人間が顔のついた生首を最後に取り出して投げ捨てるように見えるんですが。
最後のシーンは、本物の事故シーンを挟んだんでしょうか?でもブルドーザーにぶつかってるし・・・・わからない。しかし、なんか、とてもリアルで、人形には、見えないです。検死医らしき人物も、消火人も演技者には見えません。
ただし、どこかで書いてありましたが、ぶつかった車のシーンは'67カマロとも聞きました。この映画は、実話にもとずくもんなんでしょうか。なにかご存知でしたお願いします。
Posted by V8フリーク at 2005年09月07日 13:17
 全編通してのドキュメンタリー風なタッチが、ラストシーンだけは突き放すように描いていたのが、とても印象的でした。
 ラストに登場する傍観者は、あくまで本当の傍観者のように映画撮影までも傍観しているようで、事実だかフィクションだかを判らなくさせてました。
 私にとっても大切な一本です。
Posted by 映太郎 at 2005年09月10日 00:11
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