ナショナリズムの縮図が開幕

2005年08月05日
 一応出身高校はあるが、特に期待はしていない。

CD 迷わずに 西浦達雄CD「迷わずに」
 by 西浦達雄

アマゾンにこんな
アイテムまであったとは…

 期待しようにも、甲子園にも予選の報道にも出てきてくれないのだ。応援しようがないではないか。
 


 我が母校も、かつては甲子園に頻繁に出場していた。野球選手だって結構排出していたのだ。だがこのところはまったく見かけない。

 たまにその出場が決まったとしても、まっさきに知らせてくれるのは決まって、応援団を応援せよという募金の振込み用紙である。その手の事がどうも面倒な性格なので、卒業名簿担当者には死亡通知を返信しようかと迷っている。

 電話してみるか…。

「ハイ、こちら**高校OB会ですが?」
「あのー、卒業生の狩馬映太郎ですが…」
「ハイ、何でしょうか?」
「あのですね、私、先日死亡しまして…」
「ハッ? 誰がですか?」
「いえ、その、私がです、ハィ…」
「あらら、それはそれはご愁傷様です」
「では、失礼しま…」
「あっモシモシ、モシモシッ」
「はい?」
「あのー、OB会からほんの少しではありますが、ご霊前が出ることになってまして…、名簿の住所にお送りすればよろしいでしょうか?」
「えっ?…マジ?」
「はい、ほんの少しですがね」
「あのー、引っ越して今は東京の世田谷に住んでおりますので、世田谷区の***にお願いします」
「…」
「モシモシ?モシモシ? ん? あのー、受け取りに行ってもよろしいですか?」
「ガチャっ、ツーツーツーツーツー」


 
 東京で暮らしていると、ご当地意識というものがあまりない。 この時期周りを見渡すと、それぞれの出身地を応援する人をよく見るが、その心地があまり判らない。ご当地意識の欠けた東京出身だからである。

 だからなのか、自分の出身校でさえ期待しない人間は、どこのどんな高校だかも知らない予選通過出場校を応援する気にはなれないのだ。だから甲子園というものをあまり見ない。

 そもそもは唯一の出身校があまり出場してくれない僻みからなのか。たまに出場したとしても、そんな時だけ送られてくるOB会の応援団応援募金のせいなのか。いまさら理由を解明する気はない。 



 だがこんな私でも、一度だけ甲子園に行ったことがある。
 わざわざではないが、ちょうど夏の旅行で神戸の親戚の家に泊めてもらった時、運良く決勝戦に行く従兄弟に連れて行ってもらえることになった。


 たしかその夏は台風が関西を直撃した。
 予想進路が自分のいる神戸を横切っていたのを覚えている。甲子園の終盤はそのせいで順延となった。

 親戚の住まいが宿舎のすぐ並びだったので、時折宿舎の前で戯れ試合を待つ出場選手たちを、窓から見かけた。

 台風が一気に駆け抜けた翌日、決勝戦当日は台風一過の晴天であった。台風一過という言葉を思い知ったのはその時である。台風一家ってどんな一家だろうとだったが…。

 真っ青な空、陽光を照り返す内野グランド、鮮やかな緑の外野の芝、だだっ広いグランドの向こう側に黒い影がそびえていた。バックネット裏の特等席から見た初めての甲子園はとてつもなくでかかった。

 ご近所宿舎の宿泊者が新居浜商業だったこともあり、応援したのは新浜だった。だが彼らは負けてしまう。


 新浜と習志野という校名を歴代の記録から調べてみると、1975年の第57回夏の甲子園大会の優勝校が千葉の習志野とあった。もう30年も前の甲子園である。小学校五年だか六年の夏の思い出だった。


 あの時は結構感動したのになぁ…。なんであまり見ないのだろうか。大好きなNHK教育の番組枠が潰されるからだろうか。



 その暑い甲子園の熱い光景を見ようとしない人間も、ザッピングをしているとふと目にしてしまうことがある。

 九回裏2死走者無し。世のあらゆる神々に手を合わせ、何かの奇蹟を期待しながら見守るアルプススタンド。
 その光景に、そこに居合わせた云万の観客が、半分ずつ同じことを願っている。たぶん云万人の半分はまったく同じ願いを胸に抱いているはず。

 数万の人間が、同じ願いを抱き、同じ何かを信じている。

 そんな光景、見ていられるか。私は見ていられない。数秒も見ていれば、画面は必ず滲むのだ。

 願った結果にその云万の半分は歓喜し、叶わなかった結果にその云万の半分は落胆する。視座かになった峰を眺めながらもう一方の峰は歓喜し、その波立つ峰を眺めながらもう一方の峰は静まり返る。落胆の泉があちこちに湧き出す。

 そんなの見ていられん。

 応援しない理由、見ない理由、毛嫌いする理由も、ひとそれぞれ色々あるのだ。だから私は甲子園を見たくない。



 さて、どこかの見知らぬ高校が、複雑微妙なチケットを手に入れたと報道で知った。

 その手で勝ち得たわけではなくとも、「運も実力のうち」という人だっているのだ。まぁたっぷりとその幸運を味わって欲しい。

 これも何かの縁であろう。高知高校というその強運の名前を一旦耳にしてしまったのだから、たまには応援してみるか。

 まぁ見ないけどね。
posted at 2005/08/05 18:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 放送批評
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