コヤニスポワナコイなグラス

2005年07月14日
台詞も主役も存在しない映画には、言葉も添えにくい。

コヤニスカッツィポワカッツィナコイカッツィ
コヤニスカッティ
ポワカッツィ
ナコイカッツィ

だがこの映画、実は音楽が主役でありその音楽が聴きたくて観る。
 
映画はあたかも環境音楽ならぬ、環境映像のような雰囲気を持つ。その内容も文字通り人と環境がメインテーマとも言えるから無理もないのだろうが、ついBGVとして流したくなってくる。

ある意味その音楽を担当したフィリップ・グラスの独壇場でもあるわけで、実はこの映画、彼の楽曲のビデオクリップじゃんかよ…なんてことも言ってみたくなるのだ。実際彼の曲を聴きたい人間にはまさしく彼のビデオクリップとも言えるだろう。

だが、“環境映像”やら“環境音楽”なんて言葉、制作者の反感を買いそうでもある。“環境”という肩書きは、その映画全体の意図には重なるものの、バックグランド映像という意味ではその重要な内容ゆえお叱りを受けそうである。

まぁ環境という漢字がどこをどう伝わるとも思えないから、さほど気にすることもないのだが、やはり後ろめたさもありその安易な肩書きは使用を控えたい。

で、バックグランドに音楽を聴きたい人間はCDを手に入れるしかない。

Glassworks by Philip GlassGlassworks
by Philip Glass

…とか何とか何んだ彼んだ言いながら、結局DVDを持っているとどうも買う気が湧いてこない。後ろめたさを隠しつつ、結局はバックグランドDVDを掛けている。
posted at 2005/07/14 22:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映像批評
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