風また風と出会うジョナサン

2005年07月14日
高2の夏休みだったか、この本を旅先の北海道に持っていった記憶がある。初めての一人旅で、“山また山”と巡るはずだったのに、あっちこっちで“人また人”と出会いを重ね、結局静かに読む暇などまったくなかった。

かもめのジョナサン―Jonathan Livingston Seagullかもめのジョナサン
Jonathan Livingston Seagull
リチャード・バック著
五木寛之訳

で、今にして思えばこの本、どう考えても絵本である。寓話なんてレビューも見受けられるが、高2にもなろう男子が読む本だったのだろうか。ちと恥ずかしい。
 
あの頃、翻訳者の名前なんてものもまったく気にしてなかったが、そんな人が訳していたとは知らなんだ。五木寛之って、あのお寺巡りをする五木寛之だっけか。



さて内容はといえば、実はあまり覚えていない。ただ、一羽の孤独なかもめの独白が延々と続いていたのを思い出す。ただ早く飛ぶ為に飛行術を磨き、より美しく飛ぶ為にその身を風に任せる。時に食べる時間も惜しみ彼はひたすら飛ぶだけために飛び続ける。そんな話だったか。

で、内容よりもはっきりと浮かび上がる記憶はある宿の思い出である。その本を読みもせずバックパックにしのばせ、なぜか私はかもめの多い地ばかりを巡っていた。行き着いた地は北海道の端っこ。その地の風景はすぐに蘇る。

Googleマップサテライトで稚内を見下ろす⇒リンク

北の国北海道、その地の果ての稚内。その稚内の二つ目の果て野寒布岬手前の恵比須町。一つ目の果ては名高き観光地日本最北端の宗谷岬である。

最北の看板を掲げた宗谷岬の隣の岬はどこか寂しい。渋谷駅手前の代官山のような寂しさがあった。もちろん昔の代官山である。今や小洒落た青山の何番煎じかのようになっているが、二十年も前の代官山など、自由が丘手前の九品仏や二子玉手前の上野毛に匹敵するほど侘しい駅だった。

そんな地の果てで立ち寄った小さな宿は、その地にぴったりな寂しい雰囲気だったのだが、その寂しさにまったく似合わずそれはそれは騒がしい所だった。いわゆるユースホステルタイプの宿である。設備は何もなく、備えていたのは人懐こさだけというところだった。看板には大きく風の文字。その民宿の名は「風の宿―かわばた」だった。

そこの客がとにかくみな人懐こい。静かに本など読ませてくれない。何かといえばどっか行こうと徒党を組んでは遊びに出かけ、夕方になると駅に客引きに出かける。晩飯後には必ず宴会で結局朝まで大騒ぎ。そのため翌日は昼過ぎまで寝坊し予定はすべてパー。薄暗いロビーでボーっとしてるとまたどこか行こうと散歩に出かけ、夕方になると駅へ客引きに行き…。とにかく一人になるために旅行しているのにまったく一人にさせてくれない。

だが、実はそこに居残り連泊する人はみな寂しがり屋が多かった。予定に拘る人間はさっさと翌日抜け出していく。何人組かのグループの意見が分かれ、そこでおさらばなんてこともしょっちゅうだった。で、結局予定を吹っ飛ばし居残るのは優柔不断な寂しがり屋ばかりだったのだ。孤独を楽しみ、たった一人で何かに没頭するようなジョナサンはいなかった。そこに羽を寄せていたのは、いつもいつも群れをなす寂しがり屋のかもめばかりだった。

類は友を呼び、みつけた友を放さない。ゆえに寂しがり屋が溜まるのである。まったく、群れをなす寂しがり屋のかもめたちは、夜な夜なその出会いに祝杯をあげるのだった。二日酔いも恐れずに。

かくして私もその類だったと、何日か経ってから気が付いた。「何しに旅に出たのだろうか」という疑問をバッグに隠し、毎日なんとなく群れを成していた。



さて、かもめのジョナサンは一体どんな結末だったっけか。どこか本棚の隅っこにあるはずなのだが見つからないので、いまだに私は思い出せない。まぁ結局その表紙だけでも覗いて見たくなったので、アマゾンで画像を拝借してきたのだが、今ふと周囲にかもめのジョナサンが増えたような気がしてくる。

人目も気にせず、周囲の反感に身勝手にも鈍感に、そして自分の価値観を妄信し、その自分だけの道を求め、その先に孤独に歩み出そうとする人々。

 井の中の蛙
  大海を知らず

周囲に何と言われようとお構いなしに、かえるたちは天を見詰め続ける。

 天の深さを知る…ために。 

かもめのジョナサンと、その周囲のただのかもめたち。矛盾するのは承知しているが、なぜか双方に感情移入したくなる。

井戸を覗きそこに孤独に天を仰ぐかえるを笑ってみたものの、ふと自分の頭上を見上げると井戸の淵が高くそびえているような気がする。自分が居るのは、井の中なのか井の外なのか。どちらとも言えず、どちらも否定できない。

本の中のジョナサンは、そんな無限の井戸の丸い空をふと横切るかもめなのかも知れない。



追記

人懐こい宿で一番人懐こかった“おにいちゃん”。「山また山と出会わず、人また人と出会う」なんだよと言ってくれた“赤シャツ”。あまり話もできなかったけど優しかった“ウォーターマン”。ちょっとオトナでとっても色っぽかったA子。いつもニッコリひょうきんなパチンコ先生“Queちゃん”。生まれて初めて生ブルース聞かせてくれた“ガス”と“マサミさん”。みんな元気なんだろうか。あの夏も今や25年も前なんだね。
posted at 2005/07/14 17:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | 絵本批評
この記事へのコメント
風の宿かわばたに私が泊まったのは
23年前の11月。
だから、客は3人だけ。
2連泊して、ストーブ囲んで焼酎で語り合った。

私が連泊してしまったのは、
稚内からオホーツク沿岸を南下してたどり着いた、
サロマ湖畔の民宿さろまにあん。
季節はずれの旅人や、
プータロウなどなど、
毎晩ギターをかき鳴らし
今では懐かしいフォークを唄ったり、
夜通しかはなしたなぁ。
ほんと、みんな寂しがり屋だったと思う。
Posted by たよろのとーさん at 2005年09月08日 23:32
ほんと…、
寂しがり屋が多く生息する処だった気がします。
Posted by 映太郎 at 2005年09月10日 00:13
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