M・ポルナレフの黄色い値札

2005年07月09日
四枚のフランス製CDアルバム、いつ手に入れたかも忘れてしまった。

ポルナレフポルナレフポルナレフポルナレフ

パリの土産に貰ったのか、渋谷の輸入物屋で買ってきたのか、誰かに貰ったのか。なぜかその三枚には共通点があった。

懐かしき“MICHEL POLNAREFF”の文字。一斉を風靡したあのサングラス。なぜか剥がさずに残された黄色い値札ラベル。四枚に共通する粋なリズムと不思議な音色と甘い歌声には、年の離れた兄のイメージが必ず重なる。
 


小学校の頃だと思う。隣の部屋からよくロック調のシャンソンが聞こえてきた。部屋を覗くと緩いパーマで大きく膨らんだブロンドの髪にダークな色のサングラスの男性歌手が壁に貼られたポスターの中で歌っていた。

ミッシェル・ポルナレフ。決して外さなかったサングラスを暴漢が奪い取って素顔を晒したんだって…そんな逸話を兄が教えてくれた。そんなことを教えてくれた兄も一時期大きな頭にしていた。

ある日突然アフロにした兄は、家庭教師として通っていた家に行くと親御さんから丁寧に言われたという。「もう来なくてよいですから」。結局はクビになったのだ。世界的な逸話と家族的な逸話が微妙に絡んでいる。

年の離れた兄姉のいる人々は同世代と少々価値観がズレるものだ。そんな逸話を聞いた記憶も、私の中では小学校か中学の風景と重なっている。兄はその頃高校か大学だったはずだが、正確に幾つだったかは覚えていない。

仮面ライダーが流行っていた頃、仮面ライダーが何なのかを知らなかった。岩崎ヒロミが流行っていた頃、FEN(極東米軍放送)でウルフマン・ジャックを知った。番組の合間にはヒロコ・クボタが片言の日本語を教えてくれた。アメリカントップ40ではケーシー・ケイサムがチャートを報告してくれて、期末試験の期間には鶴光の代わりにメアリー・ターナーのイースト・オブ・ミッドナイトを流していた。お気に入りのDJはチャーリー・ツナだった。

価値観の基礎の多くがその時代にある。そして考えてみればそれはすべて兄からの払い下げである。兄の価値観は完璧だった。兄がよいというものはよいのだ。兄が突然シンセサイザーに傾倒すると一緒になって倒れていった。



私がまだこの世に存在しない頃、兄は母親に10円をねだったと言う。「何が欲しいの?」と尋ねる母に兄は答えた。「弟を買いに行く」。

そして少し離れて私が生まれたのだ。私は父の子であり、母の子であり、そしてなぜだか兄の子供のような存在なのだ。

考えてみれば子供が親の価値観に自ら染まろうとするのは当然のことである。だからなのか、私の価値観は兄のものとかなり重なる。

それにしてもおいおい10円かよ…。この逸話、何かと言うとよく聞かされた。いまだに兄に頭があがらない理由の一つである。「あんたなんか、お兄ちゃんが欲しいって言わなかったら存在してなかったのよ」と、母によく言われたものだ。

思い出した。CDに限らず商品の値札を必ず剥がす質の私が、そのCDに貼られた値札ラベルをどうして剥がさずに残したのか。それは兄が買ってくれたCDだった。兄のラベルなのだ。兄の印だったのだ。



先日、その兄の誕生日を忘れていたことに気が付いた。当日ふと出かけたDVDショップで、私は兄の好みを探した。欲しいモノはさっさと買う人間である。そんな人間ほど喜びそうなモノを探すのは難しい。

ふむ、“自分で買うほどではないけどあったらそこそこ楽しめる”的なモノならダブらず大丈夫かも知れない。

私はDVDの並ぶ店の中で記憶を辿り、とある映画のパンフレットを兄の部屋で見たことを思い出した。映画「人間の証明」を観に行っていたような…。

人間の証明角川春樹事務所製作第二弾
人間の証明Proof of the Man
(1977/東映)

製作 角川春樹
監督 佐藤純彌
出演 松田優作

私が兄の価値観を踏襲しているなら、結局は私が選べば間違いない。価値観はコピーされているのだから。きっとそこそこは楽しんでくれるはずである。

それにしても「人間の証明」とは、いささか重過ぎる気もしている。若大将シリーズにでもしておけばよかった。
posted at 2005/07/09 03:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽批評
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