無意味な良品に理由は無意味

2005年07月08日
私はどうしてこんな意味のない番組に惹かれるのだろう。

≪無意味良品≫
―我社の商品はすべて無意味良品です!―
BSフジ[日]21:00[水]24:00[土]17:00
サイト⇒リンク

ふざけたはずの宣伝文句に、私はまったく偽りを感じない。この番組、じつに良品な逸品である。まぁ番組が無意味と言っているのだから、観る者好む者にも理由など無意味である。
 


理由はなくとも、キッカケはあった。この春導入したケーブルTVは、地上では恥ずかしいのか各局がひた隠すBS放送を覗かせてくれた。それらを何気なくザッピングしている時、微妙にデフォルメされた三人の国籍不明社員が変な替え歌を歌っていたのだ。

鳩はどんな鳴き方だったか。そんなことを酒場で意味もなく議論する不思議な三人。あれは政とマミとポールだったか。

「ドゥードゥードゥーだよ」
「いや、ダーダーダーだろ」
「マーマーマー」
三人はやがて口をそろえて歌いだす。
「ドゥードゥードゥー♪
  ダーダーダー♪
   マァーマーァマァー♪」

それでポリスに行くんかよ…。

そこには意味もヘチマも何んにも無かった。だがその不思議な雰囲気が耳にこびり付く。何んなのだ、この変に人の嗜好のアンテナに引っかかるものは。ちょっと雨が多く降った翌日の多摩川の河川敷の仮設トイレの脇のあってもなくてもいいような電柱に引っかかる小枝かゴミかわけのわからぬもののような無意味な感覚。

雨が止んだあとふと見つけたそんなどうでもよい光景のように、気づいた時にはすでに完全に絡み付いていた。だが、そんな小枝の塊を誰も慌てて取り除かないように、私はその妙な感覚を特にあわてて拭わなかった。

ふと次の放送を見つけた時、今にして思えばその時以降、見つける度に私はザッピングを止め、偶然みつけた小枝の塊を観察する。一体どこから漂ってきたのか。一体何でできているのか。一体中に何が入っているのか。

キッカケの日から彼これどれほど観ただろうか。いまだにその小枝の塊の中には何も見つからない。

ふとあの人形が目に浮かぶ。マトリューシカと言ったっけか。開けてもくれても何も出てこないロシアかどこかの人形。あれは中に何か入っていたのだろうか。私は最後まで空けたことはないから知らない。

猿に剥かせると最後の最後まで何もなくなるまで剥きつづけるというタマネギにしたって、そべてを皮としてしまったらその瞬間中身は消え去る。

考えてみればあの人形は可愛らしい外見に意味があり、タマネギにしたってその中心のことなど考えずに食すれば美味しい味が意味となる。

何が描かれているか、何を言わんとしているかより、どう描かれているか、どんな手法を用いられているかが問われる現代アートにもどこか通じるような気がしてきた。

意味の無いものに意味などいくら考えても、意味ある意味など見つからない。



いつの放送だったか、審査会のブラザー・トムの言葉が面白かった。審査会を仕切る阿川のとなりで、もっとも意味の無いコメントを差し込む元警官小柳トム、現駒沢大学学生ブラザートム氏。

商品審査会
金蛇商事社長キム・スネイク/阿川佐和子/ブラザートム/笑福亭笑瓶/河西りえ

金蛇商事社員
政/マミ/ファンキー・ブラック・ブラザー/ジョージ/リンダ/マック/ポール

コメントを授けた意味無き商品は忘れたが、彼はその複雑な印象を笑いながら述べる。

「これって、ナンだかピカソみたいですよね。僕これ、嫌いかもしれません。アハハハハ」

そこにあるものが好きか嫌いか、“机上の無意味の塊”に対する自分の好みを述べているのに、“かもしれません”なんてあいまいな言い方をしている。はっきりとした価値観と対象に対する紳士的な姿勢と持て余す微妙な感覚とが不思議な組み合わせだった。

小柳トム氏には一度渋谷行きの東横線で出会ったことがある。まぁ知り合いでもないから見たというのが正しい表現だろうが、その出会いに親しみを感じ二十年ほど前のその時のことは忘れない。

あの頃多摩川の河川敷を転がっている、時には西部劇の荒野を転がっている小枝の塊のような髪型をしていた。

あのアフロな塊の中の価値観が垣間見られた彼の芸風が好きだった。彼の価値観が潜む髪の毛の塊はそれはそれはとてもデカかった。

二、三年前の表参道の駅だったか、半蔵門線から銀座線に乗り換える彼に出会った。小柳という名前はとっくに忘れたころである。トム氏の髪型はかつてのアフロに比べかなり小さくなっていた。その輪郭は中心にかなり近づいているようだった。

そのブラザー・トム氏が、最近駒沢大学に入学したという。駒沢公園辺りで、授業の合間の時間潰しをしている彼に会えるかも知れない。

仏教系の校風を考えれば、かつて馬鹿デカかった彼の頭も、そのうち坊主頭のように小さく進化するかも知れない。その研ぎ澄まされた価値観は何も変わらないと思うが…。



意味無きこんな無駄な考察では、意味無き番組の意味などは導き出せない。だが可笑しな結論が浮かび上がっていた。多摩川の小枝の塊が一体何なのか。

ありゃ柳の小枝の塊だったってわけか…。

「ねぇ小柳さん、どうなんですかねぇ」
「僕、こういった意味無き批評、嫌いかも知れません。アハハハハ」

そんなことを言われそうである。
posted at 2005/07/08 05:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 放送批評
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