脳の奥から太陽へと辿り着く

2005年06月29日
先週の土曜、テレ朝と日テレが4時間に渡って脳に関する特集を放映していた。もしや「脳の日」…、そんな日あったっけか。

テレ朝は爬虫類としての本能をいまだ残すとする“ジュラシック・コード”といった言葉をキーに、日テレは人の記憶の不思議なチカラをテーマに、その内容はかなり異なれど、共に人間の脳の不思議を少々臭い芝居で解き明かそうとする。

なぜか日テレ番宣番組「チャンプ」のようなわざとらしさが目にあまるテレ朝筧利夫の「ジュラシック・コード」。そして前回放映「記憶のチカラ」の単なる二番煎じに終わった日テレ唐沢寿明の「記憶のチカラU」。

どちらも期待していた割りにはイマイチだった。これならNHKのあの名作を探し出した方がましである。かつて養老孟司氏と樹木希林女史がその謎を解き明かしてくれたNHK「驚異の小宇宙 人体U 脳と心」。 結局一連の番組はあの番組をいまだに越えていない。
 


まぁどちらかと言えばあまり期待しなかったこのジュラシック・コードの方が少しは新鮮だったが、特筆すべきほどに驚きはなかった。

キャノンスペシャル ジュラシック・コード
〜人類700万年 脳の進化と封印された脳内恐竜の謎〜
TV朝日2005年6月25日(土)19:00
BS朝日2005年7月2日(土)21:00

人類は、“爬虫類の脳”に縛られて生きてきた…? 人類発展の壮大な謎を解くカギ…「爬虫類脳」とは!?

驚くべき脳の進化と、脳に影響されてきた人類の歴史を検証する!!

出演 筧利夫
   養老孟司

結局、今この地球上にいる生物はすべてが、個体が生き残る為に“闘い”を重ね、“種”が生き残る為に“生殖”を重ね、そしてそれらを連綿と繰り返してきた者たちの子孫なのだから、“生殖本能”と“闘争本能”に縁のない生物は一匹たりともこの世に存在しないってことだね。

この番組を観て、かつてから抱いていたそんな考えを再び確信した気がする。戦争は人間が生きようとする限りなくならないってことまで思いしらされると、なんだかやたらと虚しくなってきた。ありがと。

放送を観るまではこちらの方が期待していたのに、冒頭いきなり前回のプレーバック気味で始まってがっかりした。

唐沢寿明presents記憶のチカラU
〜その日、あなたの脳が生き返る〜
日本TV2005年6月25日(土)21:00

ヒトはなぜ記憶するのか? なぜ忘れてしまうのか? 記憶力UPの秘訣は?

人類500万年の謎…「記憶」の神秘に最新脳科学と衝撃の人間ドキュメンタリーを交えて迫る2時間!

出演 唐沢寿明
   双子の美少女 奈津子・亜希子

記憶の画家の紹介は彼の作品を一枚紹介するだけで十分だろうに、あれほど引っ張るとは思いもしなかった。

とはいえ、記憶を宿す第二の脳として心臓を取り上げていた話は面白かった。おかげで私は、脳とはまったく関係なくかねてから疑問に思っていたある謎解きが、少しだけ進展することができた。ありがと。



脳内の神経回路を電流が流れ、そのネットワーク全体が記憶メディアとなる。この場合の記憶とは、海馬だけに保存されるようなモノではなく、脳全体の固有の情報としての意味と、その脳の所有者その人らしさの情報という意味で言っている。

同様のネットワークが心臓を形作る心筋の間にも存在するという。そしてそのネットワークが、脳同様に記憶を残すメディアとして機能するという。移植により心臓を得た人が、その心臓のかつての所有者の記憶を共有する話を番組はそう解き明かしていた。

だが、私はその謎解きによりまったく別の謎解きが進展してしまった。

もし心筋にも記憶が宿るならば、脳内の海馬なんて部分はどうでもよくなる。神経があるところすべてに記憶が宿るとも言える。神経回路も、生体電流の流れるネットワークとして考えれば、記憶は生体電流の流れるネットワーク全体に宿るとまで考えられる。そして電流の流れるところには必ず磁場が発生するとなれば、記憶はその磁場にまで情報を残すはずである。

あぁ、これ以上は医学にも物理学にも素人な人間には限界がある。だが、私が求めている謎解きの答えは記憶のありかではない。魂、もしくは時に霊魂と呼ばれるものの在りかである。

磁場こそ魂が宿る場と考えれば、その寿命の間一時的に着床した物質つまりは肉体が実体を失っても、磁場は必ず残るはずである。

アインシュタインがもう50年長生きしていたら、宗教が出せなかった、いやあえて出さなかった答えを出してくれていたかも知れない。微弱電流と微小磁場の隙間に、魂という名の生命の実体の在りかが見つかったかもしれない。やはり魂の着床場所を見つけるのは、物理学者なのではと思えてきた。もっと詳しい方がいらっしゃったら、もっともっと具体的な説明を聞かせて欲しいものなのだが…。



そんなことを考えていたら、翌日の単なる紀行番組までが神学論のように見えてしまった。

日本美林紀行
「恵みの森・永遠に・琵琶湖・里山から奥山へ」
NHK総合2005年6月26日(日)16:35

出演 高木美保

森の中にひっそりと佇むクヌギの古木から、両手の平のごとく二枚の葉を陽光にかざし天に向って真っ直ぐ伸びる一本の新枝。その健気さに、画面の中では高木美保が感激していた。

だが、私にはまったく少々異なる感慨を覚えた。垂直に太陽に向って伸びる姿。ひたすら太陽に向って近づこうとする姿。太陽に届くまで枝を伸ばそうとする姿。

樹木の体内にも電流が流れ微弱な磁場があるとすれば、その樹木の小さな磁場は巨大な磁場の塊のような太陽に必死に近づこうとしている。

そう思えた時、私の考えは太陽へとすっ飛んだ。その道の果て、生命のその生涯の果ての光溢れる世界とは、もしや太陽のことなのだろうか。“太陽こそ生命の源”なんて言葉があるが、源としてそこから出でて、そしてみなそこへ戻っていくと考えると、そんな言葉の意味がまったく違って受け取れる。

まさしくそこは、眩き光に満ちている。
posted at 2005/06/29 18:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 放送批評
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