ナンカに関するナンカの考察

2005年06月28日
ナンカナンカと人は言うが、私もよく使ってたしなめられた。

映_「ナンカ食うもんある?」
母親「ナンカなんてありませんよ!」

高校の頃母親によくそう言い返された。学校の教室でもよく聞こえてきた。

友A「最近ナンカ面白ぇことねぇのかよ」
友B「ねぇよなぁ…、ナンカ起きねぇかなぁ」

そんな高校生にはナンモ起きなかった。クラシックに興味を抱いた時、数千枚のレコードを所蔵していた父親にもあっさりと言い切られた。

映_「ナンカいい曲ある」
父親「聴きたい曲が無いなら聴かんでよい」

ナンカ…、一体どこにあるのだろうか?
 


かつてカルチャースクールというモノが世間に蔓延した。集客力のある駅ビルなどには、必ず一つくらいはナントカセンターなんて施設があったものである。

「で、あなたは何を習いにいらっしゃったのですか?」
「えぇ…、ナンカあります?」
「ええ、色々あります。英語習字編物俳句…」
「いえその、ナンカ習いたくて…」
「ええ、だから何を?」
「…ナンカ。」

ナンカ無性にナンカ習いたくてナンカとセンターに通っていた人もいたはずである。

あの頃、カリキュラムを全うした人々は一体どれほど存在したのだろうか。熱しやすく冷めやすい性格甚だしい人間の熱い好奇心は、まったく冷めている。

だがあの、何かを習い始める際の不思議な楽しさは知っているつもりだ。真新しいツール、新鮮な用語、不安と期待が入り混じる日程表。営業マンのように笑顔で優しい先生たち。

何かを“習いたて”の時期というのはまったく不思議な心地よさがある。

特に習いごとが好きなわけではないが、限りなくADHD疑わしき私は興味の対象が日々目まぐるしく変わる。他人の趣味に染まりやすいようである。まぁ「受売」や「感化」なんて言葉を否定してしまえば、人間の知識や文化なんて誰も語れず何も継承されないだろうから、今更そんな習性を恥じるつもりはないが、もしやこの感覚、ADHD特有のものなのだろうか。



ところで、かつてのカルチャーセンターブームと最近よくネット上で見かける投稿サイトが、私にはナンカ重なって見えている。観点は若干ズレているのだが、そこには習いたての人々、アマチュアの人々の匂いが漂う。誤解を招きそうなので付け加えるが、そこに集う人々がすべて習いたてやアマチュアだと言っているわけではない。

短篇や小説、俳句に短歌、アニメやイラスト。ジャンルも様々ならば形式も多種多様。コンテストタイプあり、一品同士のバトルタイプあり、レンタル展示室タイプやウェブ美術館などなど。

カルチャーセンターは習う場でもあり、共に腕を磨く友と接する場でもあり、その修練の結果を見せ合う場でもありと考えれば、構図の重なった部分がわかりやすいだろう。

私もいくらか経験がある。最近では“短篇ごときモノ”をサイトに投稿もしている。現在私が参考にさせていただいているサイト「短篇」(⇒リンク)はシンプルで私好みだった。だが、そんな投稿サイトの一つ(先のサイトではない別の投稿サイト)にて面白い項目を見つけた。ショートショート投稿サイトの手ほどきコーナーの興味深い一文である。

 ◆ネタが見つからない時は?

ショートショートを書いている人への助言なのだが、私には違和感があった。ネタが見つからないとは、さぞ辛いことだろう。ネタが湧き上がってこないなんて…。

 書きたいモノがないなら書かんでよい!

吐き捨てるような父親の言葉が蘇る。

かつて、ふと知った川柳が気に入り一時期ハマった。習いに行ったわけでもないが、いまだに蘇る習いたて覚えたての一句はいまでも大変気に入っているし、今となっても意味深である。

 習いたて
  何かナンカと
   ネタを待ち

40年間、ナンカナンカと口癖のようにナンカを探し求めてきた。だが、ADHDゆえかOCDゆえか小説という分野にだけはナゼカまったくナンカを求めなかった。

それが今、小説にナンカを求めている。それも、大して読んだこともないのにいきなり書こうとしている。書きたいモノはナンカではない。書きたいネタが山ほどあるのだ。

ピアニストが羨ましい。だが、ピアノが弾きたいのではない。バッハのシャコンヌが、エディ・ディーチンのトゥ・ラブ・アゲインが、サティのジムノベティが奏でたくてピアニストを羨む。

そしていま、小説家が羨ましい。
バッハのシャコンヌよろしく、私はO・ヘンリのモチーフを私の旋律で奏でたい。私のモチーフをO・ヘンリの旋律で奏でたい。だからいま饒舌な小説家を羨む。



週末ともなると、レンタルDVD店はナンカを求める人で混み合う。“ワンダリング・アフィリエイター”が店内を延々と彷徨っているはずである。

「ブログのネタ、ナンカねぇかなぁ…」

そんなつぶやきまでは聞こえてこないが、結局ナンカなんてモノはどこにもない。自分の頭の中以外にはどこにも無いのだ。私はその“頭の中のナンカ”をネタにブログを更新してみた。
posted at 2005/06/28 07:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 語部修行
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