バージニア33番目の犠牲者

2007年04月23日
 鎮めるべき魂は32ではなく、33存在するという考え方は素晴らしい。

バージニア州が追悼の日
 ―学校広場に「33個」の石―

 AP通信によると、学校の広場に死者をしのんで33個の石が半円状に置かれ、星条旗などが供えられた。置かれた石は前日までは32個だったが、チョ・スンヒ容疑者(23)の分が加えられたようだ。
asahi.com/AP 2007/04/21 10:22

 記事を見てふと思った。

「アメリカも、捨てたモンじゃないな…」
 
 もっと突詰めて考えるなら、最も鎮めるべき魂はその最後に加えられた一つとも云える。

 ベンツもゴールドのネックレスも存在しないその世界に辿り着いた彼は今やすっかり落ち着き、32の魂に囲まれて穏やかな心となったはずである。

 33番目の魂よ、安らかに。

 ところで、この報道をブログで取り上げようと「チョ容疑者 バージニア 33」というキーワードで一連のニュースを検索してみると、或る意味耳を疑いつつも考えてみればどこか馬鹿正直な韓国からの報道をみつけた。



 犠牲者は32ではなく33存在するという考え方はどこか似通っているがどこか対照的である。

韓国は33番目の犠牲者

 「どうしてよりによって韓国出身の学生が…」

chosun Online 朝鮮日報 2007/04/19 08:36:20

 記事を見てふと思った。

「韓国も、■■(3+3)なモンじゃないな…」

 まぁ、そんな正直な反応を報道する報道も捨てたモンじゃないってことか。

 どうしてよりによって

 その反応はわからなくもないが、それを口にしてはおしまいというもの。彼らの表現を拝借するなら、「どうしてよりによってソレを口にするかな…」



 どこか身内の過ちに対する欧米人とアジア人の比較報道に思えてくるが、ふと33個目の鎮魂の石を置いてくれたアメリカ人が好んだドラマ「ER」の一場面を思い出す。

 ある日、小児科医レジデンスのダグ・ロスは何かに噛まれたという赤ん坊を診察する。

 その噛み跡から犯人が子供であることに気づいたダグ・ロスは、その場に居合わせた容疑者とおぼしき赤ん坊の兄を気遣い、母親に遠回しに伝えようとする。

「幼年期のホモサピエンスに噛まれたようですね…」

 言葉の意味を察した母親は思わず兄に抱きついた。

「どうしてそんなことしたの?」

ERシーズン4 第1話「Ambush」(生放送)

 このシーンを観て当時ふと思った。

「素晴らしい! 叱る前にまず抱きつくなんて…」

 過ちを置かした身内に対し、まずは叱りつけるのがごく自然な姿勢である。だが一方で、“その人”を憎まず、“その罪”を憎み、“その源”を探ろうと理解に努める姿勢は理想ではあるが難しい。



 そう云えば先日、数年前に池袋で起きた通り魔事件の裁判において、被告に対し死刑判決が言い渡されたという報道があった。

 この手の事件ではつき物の心神耗弱もしくは心神喪失という争点は認められなかったらしい。

 責任能力という観点から考えれば或る意味それも仕方ないことなのかもしれないが、犯行当時の精神状態のみを純粋に考えれば、殺人という罪を犯す人間が心神耗弱もしくは心神喪失といった状態でないと考える方が可笑しいとしか私には思えない。

 ま、それを突き詰めたら犯罪はなくならなくとも従来の価値観による有罪などなくなるだろうけどね。

 犯罪の全く無い理想の世界

 かつて死刑だった者が今や死刑ではなくなり、かつて有罪だった者が今や無罪となる現代の精神疾患の考え方がさらに進歩するとしたら、やがて将来はそんな理想の社会が訪れることだろう。

 正確には、“犯罪の全く無い理想の世界”ではなく、“犯罪はいっこうになくならなくとも有罪犯のまったくいない理想の世界”が訪れる未来の世界。

 たやすく理想とは云いがたい世界かも知れぬ。
posted at 2007/04/23 03:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報道批評
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