作りませんか…って何をよ?

2005年05月24日
誰かが紹介していた誰かのブログを覗いてみた。独りよがりな記事や自閉的な投稿を少々戒め、たまには他人のブログでも読むべきものかと、ふと覗いたブログで紹介されていたブログである。

晴海22歳の闘病日記 〜死ぬまで生きた〜
11月25日、僕は癌だと告知を受けました。長ければ半年もつそうです。やりたいこととかまだ、思いつかないけど、何か記録をつけたいと思いました。
ブログ⇒リンク

2005-01-27 00:05:18付けの「最後の記事」なる最後の記事には、膨大なコメントとトラックバックが添えられている。そこにいきなり現れた意外なコメントに、思わずそのブログをあらためて見回してしまった。

「フィクションとしては、蛇足な気がします」

えっ? フィクション?
ふむ、“作り”にしてはかなり手が込んでいるが、十分にありえることである。一体このブログ…。
 


28件のトラックバックは無視し、105件のコメントを読んでみると反応は様々だった。

フィクションとしてシビアに批判するコメントもあれば、感動をありがとうと礼を述べるコメントもあり、あなたと出会えて良かったと一期一会の出会いを語るコメントや、様々な疑念に対する怒りを抑えつつどうか「事実なんだ!」と叫んでくれと懇願するコメント、医学的な矛盾を淡々と指摘しそんな人間はどうせいなかったんだろとあっさり否定するコメントなどなど。そこに延々と居並ぶ様々な反応も、その反応それぞれが一応それぞれの人々にそれなりの反応だったことを物語っている。

そこにコメントした人々はみなこのブログを知り、すっかり動揺してしまったように思える。それぞれがそんな自分の心理を実はしっかりと自覚していて、その複雑な心境をどうにも隠せないことが、人によっては湧き上がる怒りとなり、また人によっては拭いきれない疑念として、半ば荒々しいコメントを書かせている気がしてならない。



ところで、実は私、短編修行というカテゴリーでブログっぽい短篇を書いてみたことがある。ある日ふと、ブログにおける書き手と読み手の時間的な矛盾がやたらと気になりだしたのだ。

通常ブログにおいて、ふと現れた読み手は、―検索などで古い記事にたどり着いた場合を除き―よく時間を遡って記事を読み進む。書き手の時間軸に逆らい、読み手が書き手の時間軸をさかのぼって行く時、書き手の出来事や感情の流れと、読み手の反応にどんな違いが巻き起こるのかと、ある意味実験的に作り上げたブログ風短篇である。

カテゴリー短篇修行
短編「ある母の日のブログ」
オチどころか、ある意味救いも何も無い筋だが、実験的としてどうか許しを請いたい内容である。
記事⇒リンク



さて、そんなブログ上でのいわゆる“作り”を作ることも考えていた私にとって、やはりこの噂のブログも、“作られた”可能性はしっかりと感じてしまった。

だが、そんな疑念を感じた瞬間、妙で複雑な感覚を覚えてしまう。どう見たってそこに特定の人が存在し、真実の実感を書いている様相を見せるブログ。もしこれが本当に真実のブログなら、私が抱いている疑念はどれほど失礼で容赦ないモノだろうか。

だが、だがである。今度はそんな自己嫌悪を意識した瞬間、また妙で複雑な感覚を覚えてしまう。これがもし本当に“作られた”ブログなら、私が今感じているこの複雑な心境は、このブログが“作られた”際にすでに十分に、それどころかまず第一に意図された想定済みのまったく単純で一般的な感想といえる。

素直に最初から、そのブログが完全な真実のモノと信じ感動した人においても、その一部の人は先に述べた複雑な心理の変化をやはり同様に辿るように思える。最初の感動が大きければ大きいほど、信頼が強ければ強いほどもしかしたら、“裏切られた?”という思いも沸き起こる可能性だってあるかもしれない。

まったく…。
“作られた”ブログだとすれば、そこに反論できない構図までがしっかりと意図されている気がしてならない。ズルい気がした。もしそれが“作られて”いなくても、もし本当に天国で、この過剰な反応を誰かが見ているとしても、それでもズルいよ、晴海くん。まったくもってそれはそれは“ズルい構図”を遺し逝ってしまったなんて…。



結局どちらなのか…、私は判断したくない。まぁどちらでも良いではないか。だが、105件の過剰な反応…ではなく多数のコメントを読み終えた私の前に、思わぬ一行のコメントが現れた。

 あなたもアメーバブログで
  ブログをつくりませんか?

「つくりませんか?」という言葉が、やけに目立って見えてくる。「つくる」という言葉の意味がわからなくなってきた。

まったく…、
自分自身の疑い深さに嫌気がさしてきた。



追記…一個人のブログを否定する記事を投稿したつもりはない。つまりは、その噂のブログを否定する意思がないことを書き添える。どんな反応だろうと、実感だろうと、ある意味そのブログで私が動揺し、何かを動かされたことには違いないのだから。

一個人のブログ批判をするつもりで書いた記事ではなく、とある一つのサイトで受けた感想を正直に述べた記事であることも書き添える。
posted at 2005/05/24 20:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 電脳批評
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/3872668
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。