ああ弥生、市ヶ谷堀を見渡せば…

2007年03月26日
 ある晴れた日の市ヶ谷堀。
 ふと黄色い小花が寂しげに存在を主張する。

市ヶ谷堀土手に咲く菜の花




 ああ弥生
  市ヶ谷堀を見渡せば
 君も菜の花
  吾も菜の花
映太郎 


 何の花かと思ったら、そうか君も菜の花だったんだ。
 


 黄緑色のつぼみでしか売らない花屋の菜の花や、どこかの景勝地で“一面を黄に染める菜の花”なんて写真ばかりを見慣れてしまったせいか、さりげなく身近な緑の中で咲いてくれていた孤独な彼らを見逃すところだった。

 花屋の美的感覚や報道写真の季節感も当てになりそうで実はそれほど当てになるものでもないが、そんな偽物たちにすっかり惑わされてきた己の感覚も、いい加減矯正しなくてはならないのかも知れない。



 ところで先の歌、元の句はあの有名な与謝野晶子のものである。いや与謝野鉄幹だったか。にわか仕込みゆえどちらだか忘れちまった。

 ああ皐月
  仏蘭西の野は火の色す
 君も雛罌粟
  吾も雛罌粟

 フランスに渡った折に見た赤い雛罌粟(こくりこ)、つまりはポピーの赤い絨毯を歌ったものだという。

 季節を重視する俳句や短歌の世界のはずだが、気候も花の咲く時期も異なる異郷の地で詠まれた歌というのは、一体どう評価されるんだろうか。

 季節感を共有してこその俳句や短歌ではあるけれど、その異国の地で詠まれた短歌は、そんなズレを逆に逆手にとりある意味承知の上で詠まれた歌なのかも知れない。



 “ああ皐月”を少々もじり“ああ弥生”などと歌ってみたものの、気がつけばその弥生もあと数日である。ふむ、そろそろ訪れるのが例の“弥生尽”ってやつだな。

弥生尽(やよいじん)
=陰暦3月末日。春の尽きる日。(Yahoo/大辞泉)
=陰暦三月の晦日。春の終わりの日。さんがつじん。(Yahoo/大辞林)

 春の尽きる日ねぇ…。なにやらSFチックだな。まぁそのうち、春も秋もなくなってずっと夏になってしまうらしいから、春の尽きる日も菜の花の尽きる日も実は意外と近いのかも知れぬ。あぁ恐ろしや恐ろしや。
posted at 2007/03/26 05:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 風景雑感
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