農工技商株屋政治家

2007年03月26日
 また一人、凄い役者が登場したのかも知れない。

大森南朋出演「春眠り世田谷」






春眠り世田谷
 主演 大森南朋 

 で…、この芸名何て読むんだか。
 


 彼がハゲタカファンドマネージャー鷲津政彦を演じたNHK土曜ドラマ「ハゲタカ」が、先日の土曜日に第六話をもって完結した。

 東京海上日動あんしん生命のCFで彼の表情を初めて見て以来彼の演技がずっと気になっていたのだが、あのCFを初めて見た時の不思議な感覚はやはり間違っていなかった気がする。

 たしかあのCFは台詞もストーリーもまったくなくて、何らドラマチックでもなんでもないミニドラマ風のCFだった。だが彼が見せる微妙な表情の演技のお陰で、“何気なく、それでいてどこか活き活きとした日常のドラマ”を感じさせていた。

 今回のドラマも期待通り、彼の微妙な表情の演技がタイムリーでドラマチックな脚本をさらに引立てていた気がする。



 枕話がやや長過ぎたが、そのドラマ「ハゲタカ」の再終話一場面での台詞が耳に残って気になった。

 田中泯演ずるレンズ研磨の熟練技術者が鷲津政彦に初めて顔を会わせるシーン。自社の経営権と自らの運命を弄ぶハゲタカたちへの敵意をむき出しに、熟練技術者は静かに想いをぶつける。 

「一度、あんたら“ハゲタカ”と呼ばれる人に会ってみたかった。あんたら人の金で会社を乗っ取って儲けてるんじゃないか。自分達は何も作らないくせに…」

 自分達は何も作らないくせに…。
 小中高と何度も習った社会構成分類の言葉がふと蘇る。

 士農工商

 ふむ、このドラマ、この言葉も制作コンセプトの一つなのかも知れないな。…なわけないか。



 ところでこの「士農工商」という分類、私は以前から優れた順位付けだと思っていた。

 まぁ何処ぞではその四つの分類の下に穢多非人などと続き、そのせいで最近では放送禁止用語に登録…などとも云われているらしいけれど、私が関心しているのはその六分類でもないし、そういった意味での格づけでもないのだからどうでもよい。

 実際その頂上に据えられている“士”や最下位に並ぶ“穢多非人”などは別として、要は何もなき大地から物を生み出す農産者たちが、他の工業製産者や商業従事者より上位であるということ。

 汗水たらして大地を耕し、天からの恵みの実りをその手に授かる者…彼らこそ最も尊敬されるべき民なのである。

 先の放送禁止云々の考え方では、“士”以下はすべて一緒くたであり、要は支配すべき“士”と支配されるべき“農工商”三分類と、さらにそれ以下に陥れられて支配されるべき三分類の何の心なんだな心の支えとされるべき“穢多非人”二分類などとも分類されているというが、そんな格付けの基準はたかだか一時代か二時代の価値観でしかない。

 言い換えるならば、一部の饒舌な者たちが“士”として必要以上に上位に格付けされようと、声か細く力乏しき一部の者たちが“穢多”や“非人”などのように意味もなく下位に貶められようと、そんな格付けはたかだかその時代の人間が決めたこと。

 時代と共にその深さや有無さえも変遷する罪と、どんな時代だろうとどんな社会だろうと変わらぬ罪があるがごとく、常に農に携わる者とそれ以外の者という対比の本質は変わらない。いや弱気ではあるが、そうあるべきこそが変わらないはずである。

 もはや“士”なき現代ならば、さしずめいくらか異なる言葉になるかも知れない。

“農、工、技、商、株家、政治家”

 その言葉に深い意味は授けない。ゴロ合わせで言葉遊びをしたまでである。



 我が視界はやはり微かに赤みがかってきた気がする。

 まぁここ十年ほど自覚してはいるのだけれど、いまだ世の中を変えねばと選挙で赤い票を投じるほどではない。

 だが先日、数年ぶりに会った父もふと可笑しなことを言っていた。

「最近じゃ共産党を応援してるんだよ」

 お上がどうのこうのと文句ばかり云うものの、選挙などには一切興味を示さなかった父が突然ほざいた言葉に、私は耳を疑った。だが同時に内心では笑ってしまった。

 いまさら何をほざいてるんだか…。呆れたものの、呆れた私もここ数年思っていたこと。

 十年もしたら、同じこと云うんだろうな。
posted at 2007/03/26 02:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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