人という名の臆病な生き物

2007年03月23日
 ふと考えた。

 それはやはり人間だけなのかもしれない。
 
 人というもの、人間という生き物は、自らを人間と自覚してこの方ずっと死を忌み嫌い、そのサイクルに没することを独り拒み続けてきた。

 或る意味死に対する恐れを認識した瞬間、つまりは死というものを忌み嫌う感情を感じ始めた瞬間、ようするに死の闇に漠然と不安を感じてしまった瞬間こそ、人間がその裏面である生を実感しまさに人間となったまさしくその瞬間だったとも云えるのだけれど、それに比べて動物たちはみな死を自然に受け止め、そのサイクルに身を任せて溶け込み、その生々流転を成立させるべく自ら進んでその身を死に委ねているように思えてならない。

 死に対する恐れを認識したことこそ、動物としての人間が人としての人間に成り得たきっかけであったわけだけれども、それを認識したことが本当によかったことなのかは判らない。

 一つの宗教を信仰する一人の信者が諸宗教を客観的に論ずることができないがごとく、人が人間という動物を他の動物と比較論ずることは、その立場の違いを真摯に受け止めればやはり不可能である。

 人というもの、常に人間という動物自らをすべての動物の頂上に据えて考えがちだが、本当に我々人間という動物は地球上における生きとし生けるすべての生物の頂上に君臨していると自覚してよいものなのだろうか。

 実は晴れ晴れしい頂上なんかではなくて、最も臆病で最も愚かで最も無責任な、下の下、最低の最低、最下位の最下位のさらに最深部で常に何かに怯えている存在なのではないかと思えてきた。
posted at 2007/03/23 23:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観
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