渋谷ハチ公と「天国の小さな門」

2007年03月22日
 或る日、或る夜、或る深夜の渋谷。

 待ち合わせ場所として名高い渋谷ハチ公前も、さすがに夜明け間近の深夜では待ち人も居ない。

渋谷、独り佇む忠犬ハチ公









渋谷、独り佇む忠犬ハチ公 

 彼以外には…。
 
 そう、彼もまた待ち人であった。だがよくよく考えてみると、本当はもう待つ必要などないはずである。

 もうとうに、ご主人さまと一緒のはずなのだから…。

 だが彼は、なぜだかいつまでもそこで待たされ続けている。



 四六時中人に囲まれ、騒がしい喧噪も苦にせず、次から次へ入れ替わり立ち代わり訪れては消える待ち人たちの為に、たなびかぬフラッグとして改札に向かい佇む姿は、冷たいブロンズということを忘れさせいたく健気である。

 そんな昼間の姿をいつも見ていたせいか、彼の姿が寂しそうに感じたことなど今まで一度もなかった。

 だが、ふと誰も居なくなった深夜、その広場でハチが独り佇む姿をじっと眺めていると、彼の健気さがどこか悲しくなってくる。

 どうしてご主人様の像を作ってあげなかったんだろう。



 話は変わるが、仏教の世界では逆縁という言葉がある。子を持つ親にとっての最大の不幸を逆縁というのだ。

 逆縁…年長者が年下の者の法事をすること。親が子の法事をする場合などにいう。(Yahoo/大辞林)

 私はある時期葬儀関係の仕事をしていたが、親が我が子を見送る姿ほど悲しいものはなかった。

 小さな棺を離れられずその場で泣き崩れる親に向かって、「出棺の時間です…」と告げるに告げられず、それどころか自分までもらい泣きして司会ができなくなった葬儀屋を何人か見たことがある。云うに及ばず、私も同様にもらい仕事にならぬことも多々あった。

 だがこれがペットとなると話はさらに逆になってくる。ペットと共に暮らす者には、或る意味逆縁が当然のことなのだ。犬や猫の場合、どんなに長生きしてくれてもたいていは飼い主が見送ってあげて普通なのである。

 そう云えば、映画「犬の映画」に登場する犬の“まりも”を飼っていた女の子もその辛さを語っていた。

「どうして私より先に年を取るの? 何をそんなに急いでるの? 待って、待って、まりも、待ってよまりも…」

 ペットを一度でも見送ったことがある飼い主にはさすがに辛い映画ではあるが、元来ペットを飼うということは、誰もがそれを覚悟しなければならないということなのだ。

 見てみたい方は動画サイト“YouTube”で「いぬ まりも」を検索してみるとよい。私は先の「どうして私より先に年をとるの?」のテロップで涙腺が壊れた。



 さて、その逆縁がまさに当然であり、或る意味それが順縁―逆縁の逆。年少者が年長者を見送るといったあるべき状況のこと―とも云えるペットと飼い主の関係を念頭に置いて先のハチと主人の間柄を考えてみると、彼らの状況はまさに人とペットの不幸な逆縁だったと云えそうである。

 どこかややこしいけれど、飼い主がペットをこの世に残すことは、飼い主としての最大の不幸であるということ。

 例え無理と云えども、やはり飼い主はペットに先立ってはならないのだろう。ペットの目の前から突然去り逝く理由を、本人も、また周囲の人々も、誰一人ペットに伝えてあげることができないのだから。



 「天国の小さな門」という話がある。


 天国の小さな門

 天国には大きな門があって、人はその門をくぐってその先に続く長い階段を登る。その上に輝く眩い光に向かって。

 だが、その門の近くはなぜかいつもたくさんの人であふれかえっている。階段を登ろうとしない人々。

 彼らはそこでずっと誰かを待っているのだ。あとに残してしまった人を、ずっとそこで待ち続ける人々。



 ところで、その大きな門の脇には少し小さな門があって、動物はみなその小さな門をくぐって階段を登る。

 さて、その門の近くもなぜかいつもたくさんの動物であふれかえっていた。階段を登ろうとしない動物たち。 

 彼らはそこで、ずっと誰かを待っているのだ。あとに残してしまった飼い主を、ずっとずっとそこで待ち続けるペットたち。彼らは、その世界でも飼い主と共に歩みたくて、その小さな門の脇でずっと飼い主を待っている。

by映太郎 

 なんて話があったらいいなぁ…というお話。



 話は現世の待ち合わせ場所に戻るが、もうとうにその天国の門でご主人さまと出会い、共に階段を登ってすでにその上の世界で一緒に過ごしているはずのハチなのに、この世界ではいまだいつまでも待たされ続けている。

 そんな“ハチだけのブロンズ像”がやはり気になる。

 誰か…、美大で造形美術か何かを専攻していて、卒業制作の題材を探しているような、おまけにちょっと話題になりそうな事でもないかなぁ…なんて事を考えてそうな美大生とか、どこかにそんな方いらっしゃいませんかねぇ。

 卒業制作にでも、“ハチのご主人様の像”なんて作品を作ってあげてもらえませんかねぇ。並べて設置してあげられたら、さぞ喜ぶだろうに…。

 きっと、きっと、今まで無表情だったはずのハチの顔が、まるで笑っているように見えるだろうに。



 追記…深夜にでもこっそり運び込んで、“ハチのご主人様の像が突然現れて仲良く佇む”的なゲリラアートの企画でも起こすなら、私無償でお手伝いします。御一報を。

 実現するなら何もこっそりじゃなくていいんだけどね。
posted at 2007/03/22 16:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 風景雑感
この記事へのコメント
自作自演で、ご自分がブロンズ化して立って撮ってみるとか?
それってハナ肇(爆)
Posted by KaN at 2007年03月22日 22:49
自作自演?
そりゃ思いつきもせなんだぞ。

…で、
着物かなんかで、
ハチの首に紐をくくりつけて、
15度くらい上方を見上げつつ仁王立ちするってか。
そりゃ西郷さんになっちまうな。

それよか、誰が撮影するんでしょうか。カメラマンお願いできます?
Posted by 映太郎 at 2007年03月22日 23:03
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