生くるにも死ぬるにも離れざりき

2007年03月20日
 残されたヨハンナは、二人の関係をそう記していた。


 二人は
  生くるにも死ぬるにも
   離れざりき 

迷宮美術館「巨匠誕生!」NHK-hi 2007/03/12
“特集ゴッホとテオとヨハンナ”より 

 フィンセントとテオの絆の深さは知っていたつもりなのに、その言葉にはどこか特別な響きがあるような気がして、私は声に出さずも何度も何度も読み返してしまった。

「…死ぬるにも離れざりき……」
 


 二人とは、画家フィンセント・ファン・ゴッホと、彼の弟でありヨハンナの夫である画商テオ(テオドール)・ファン・ゴッホのことである。

 1890年7月29日、兄フィンセントは作品もほとんど売れぬまま自ら命を断った。その兄を慕って追いかけるように、弟テオも半年後の1891年1月25日に病死している。

 残されたヨハンナは二人が生前交わしていた数百通の手紙に目を通し、彼らの異常なまでの絆の深さと絵に対する並々ならぬ情熱を知り、その後の半生をフィンセントの残した作品の価値を世に広めることに費やしたという。



 そしてテオが亡くなってから23年が経った1914年4月、まるでやり残した何かを思い出したかのように、彼女は一旦埋葬したテオの墓をわざわざオランダから現在の墓所であるオーヴェールの兄フィンセントの並びに移設し、兄と弟の墓石を並べてあげたという。

 二人は生くるにも死ぬるにも離れざりき 

 彼ら兄弟の絆の深さは、今までにも何度か耳にしたことがあったが、今回この言葉を目にして今まで以上にその兄弟の特別な絆を思い知らされることになった。それと同時に、彼ら二人を死んだ後まで見守り続けたヨハンナの存在がいかに大きいかも知ることができた。



 ではその“離れざりき”二人を永遠に“離れざりき”眠りにつかせてあげたヨハンナ自身は今一体何処に眠っているのだろう…。

 1925年9月2日、二人の墓を寄り添うように移設してから11年後に彼女は亡くなったとWikipedia Englishは教えてくれた。だが彼女が何処に埋葬されたのかまでは記されていない。

 この記事を書くにあたって他にも時系列など色々と確認の為にネットで検索してみたものの、彼女の墓所までを記したサイトは残念ながら他にも見つからなかった。正確には私の検索能力と語学力では見つけることはできなかったと云うべきだが、何方かご存知ならお教え頂きたい。

 “離れざりき”二人を見届けた彼女が、“離ればなれ”でなければよいのだが…。

 もし彼女だけが“離ればなれ”でいるのなら、できれば今からでも彼の地へと移してあげたいではないか。
posted at 2007/03/20 07:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 死生私観
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