Who said "Art is Fushion"?

2007年03月16日
 幾すじものヒコーキ雲が空に伸びた先日の表参道。大通りの向こうで、馬鹿デカいビルボードが何かを断言する。

 ふーん、アートがファッションだったのか…。

Art is Fushion by Patrick Mimran

「ファンションはアート!」なら判るが、逆な気がする。カレーは料理だけど、「料理はカレーだ!」って云われてるみたいだな。

 Anyway...
 Who a Hell is Patrick Mimran?
 
 一体パトリック・ミムランって何者なんなんだか。頼りのウィキペディアもあんま教えてくれないし…。



 ところで、先日記事で紹介した“Free Hugs”キャンペーンを見た何処かの誰かが、面白いことを言っていた。

「あれって何かの宗教?」

 どこか判る気がして、その反応には大爆笑したものの、そう言った彼自身を笑うことはできなかった。

 ふと街を歩けば、あちこち色々と様々なお方々がいらっしゃって、その行動理由もまた人それぞれ様々である。

 報酬も求めず神の言葉を語る者、報酬の為だけに儲け話を語る者、自己満足の為だけに説教話を語る者、……。

 ツールばかり発展するものの、コミュニケーション自体はどこか希薄な今日この頃。わざわざ向こうから歩み寄り何かを説く者は決まって、“どうせ何かの宗教かキャッチセールスに違いない!”と、鋭く冷たい白き眼で見られがちである。

 少々悲しい時代ではあるけれど、そんな時代だからこそかの“Free Hugs”のようなキャンペーンが脚光を浴びるのだろう。

 まぁそのキャンペーンを(私もであるが)それはそれは善き行為と信じてやまない人々にとっては、ある意味宗教と同じなのかも知れない。



 考えてみれば、ブランド志向もどこか宗教と似ている。

 報酬を貰うどころか、わざわざ登録料を代金として払ってまでブランド銘の入った服や鞄を手に入れ、これ見よがしに街を歩く無報酬なアドウォーカー達も、ナントカ講などと刺繍された派手な布を首にかけ、ここぞとばかりに知人の葬儀に参列し己のマイノリティな宗教を布教する饒舌な信者と変わらない。

 人は皆、どうして何かに帰属したがるのかな……。



 なんだかなぁ…。アートがファッションなのか、それともファッションがアートなのかなどという話題が、一体どうしてまた宗教論に発展するんだか。

 まぁ無理に言い換えるならば、饒舌でマジョリティな宗教家と、寡黙でマイノリティな宗教家の比較論とでもいうべきか。巨大メーカーの斬新で饒舌なCFと、公共広告機構などの寡黙で物静かなモラル布教CFのように。

 原宿を歩いてみても同様な対比は見受けられた。マジョリティなブティックは表通りで堂々と布教し、片やマイノリティな小洒落た服屋は裏原宿の細い路地で若き信者たちを獲得せんと新たな価値観を小声で説いている。



 どっちにしろ広告なんて見られてナンボの代物である。

 その昔「結婚とは何ぞや?」と記された国産初のアドボードが上野だかどこだかに登場して以来変わらない。

 どうにもこうにもともかくも、パトリック・ミムランって一体何者? どこぞの宗教家なのだろうか。

 結婚って何ぞや?と不意に訪ねられふと考えてしまった人のごとく、それ誰?と思ってしまった私にはすでにその言葉とその名前が脳裏にこびりついてしまった。

「カレーは料理だ!」…ではなく、「料理はカレーだ!」と云ってるみたいでやっぱ変だろ? そう思ったところで、結局は見てしまった私の負けのようである。
posted at 2007/03/16 21:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 広告批評
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