みんなで渡れば構わないのか

2005年05月11日
ドキュメンタリー好きの私がよくチェックする番組「NON FIX」が、割とタイムリーな内容を扱っていた。まぁタイムリーと言ったところで、ただ自分が現在一番気にしていることを扱っていただけなのだが、人がTV番組を見るきっかけや選ぶ基準など大抵そんなものであろう。

「NON FIX」
(きっかけは〜そんな程度のフジTV放映)
シリーズ憲法〜第21条・表現の自由
「表現の自由と責任を取材の現場で考えた」

報道現場における関係者たちの人権の扱いと報道機関各社間の熾烈な争いの狭間で揺れ動く記者の微妙な心境をドキュメントする。

番組はかつての浅田農産の会長と社長を囲む激しい記者会見と、後の会長夫妻自殺について触れていた。取材時期は不明だが彼らの自殺に関する地元住民のコメントをはさみ、残された社長の言葉と共に番組は振り返る。

いつのまにか会見が
 糾弾の場になっていた
 
ふむ、もしや…、記者の中にも二週間前の会見の罵声に違和感を覚えた人がいるかも知れない。
 


ここ二週間ほど散々見せられてきたどこぞの記者会見の記者たちの態度を、静かに恥じている記者も日本全国一人くらいはいるかも知れないと思えてきた私は、番組終了後「JR西日本」と「記者」と「態度」を検索枠に打ち込み検索してみた。いやいや出てくる出てくる。日本全国あちこちの厳しい声が検索リストに並んだ。

個人的でありながら名前を掲げ顔写真まで貼り付けられたページに、JR西日本を不必要なほど感情的に糾弾する記者の態度を厳しく批判する記事を掲載したサイトが、リスト最上段に挙がっていた。同様の違和感を覚えながら、匿名のブログに批判記事を投稿することでさえ躊躇っていた自分が笑えてくる。

「いじめの構図」に
 どこか似通っていないか

大勢の視線の向きを見定め、内在するはずの批判の矛を隠していた自分が、その構図のどこに立っていたのかをあらためて思い知りふと笑え、結局は笑えなくなっていた。笑えるのは誠に小市民な自分である。



確かに今、JR西日本の態度と続々と明かされる事実には驚きが絶えず、呆れを通り越し遣り切れなさばかりがつのっていく。しかしあの当日の記者会見での「大勢死んでんねんで〜!」という記者の激しい言葉に感じた違和感も消えない。

多少辛辣過ぎることは承知の上だが…、
107人の犠牲者の最低限数倍の人数の遺族が結束しつつある今、その遺族たちは現在日本で最も強い発言力を持つ団体と言えるかも知れない。だが、そのいたわるべき状況を勝手に背負い込み、何かにすり替え、会見の席でJR西日本の幹部に罵声を浴びせる記者の態度はさすがに目にあまる。

「NON FIX」では事件の関係者やインタビューに答える証言者の匿名性に触れていたが、罵声の主や同業他社の記者たちの匿名性には触れていなかった。それを意識してなのか、番組での密着取材対象である記者の名前は、半ば過剰と言えるほど頻繁にナレーションに連呼されていた。

せっかく連呼された名前を残念ながら忘れてしまったが、記者は番組の後半でカメラマンらしき男とガンクビ(顔写真)について語りあう。彼らはふと「勝ち負け」という言葉を挙げていた。

「勝ち負けなんですかねぇ…」

正確な表現は覚えていないが、名前や写真を放送する側を勝ちとし、あえて控え放送しなかった側を負けとみなしてしまう自分達を冷静に疑問視し始める記者。

それはいつのまにか自分達が、「勝ち負け」という言葉で日々評価される世界を走り回っていたことにふと気づいたような…と思える表情。

視聴率という魔物がいつしか彼らに圧し掛かり、中立公正紳士的であるべき彼らの一挙手一投足を音もなく縛り上げ、「報道の自由」という言葉をいつのまにか無意識に何かに摩り替えていたことにふと気づいたような…、そんな表情だったというべきか。



自分の番組の評価をチェックするためネット検索でもしてこの記事を見つけ読んでくれることを願い、「NON FIX」No463「表現の自由と責任を取材の現場で考えた」で何かを考えた記者へ伝えたい。考えれば簡単なことではないか。

すべての報道番組から
 スポンサー枠を取り除けば良いだけである

匿名で報道したものの他社に出し抜かれ先を越され、あえなく方針を撤回変更し、自ら掲げた志をあっけなく取り下げる。そんな恥ずべき実態を一社一記者が一人さびしく恥じたところで、何も変わりそうもないのは重々承知の上だが、とりあえずはスポンサーのしがらみを各社揃って取っ払うだけでも、あなたがたの志はいまより少しは力を得るはず。

まぁスポンサーあってのテレビ局ゆえ、それが最も難しいことも承知の上だが、スポンサー絡みの記事だけはやたら静かに囁くなどと最近言われていることも考えれば、そろそろ誰かがそんな試みと志を叫んでみるのも悪くないはず。あなたの右隣の局など、大きな看板報道番組を抱えさぞ動き難いことだろうから、違った意味で出し抜くチャンスかも知れないし…。実際考えれば、記者一人ではやはり簡単なことではなさそうだが…。



大通りを何百人もの人が渡っている。
すでに歩行者用信号は赤に変わっているのに、次から次へと通りかかる群集のあまりの人数に信号は用を成さず、信号待ちしていたドライバーたちは呆れて見守るしか術はない。

そんな状況に出くわした時、人間にとって最も自然で最も情けないことは、結局群集の後について渡ってしまうことである。

六十数年前、かたくなに配給食糧に拘り挙句の果てに餓死した裁判官の話を思い出す。愚かな一徹さは狭量と言うらしい。

志はかなり異なれど、そんな志のコの字の一辺の辺すら報道機関どころか報道機関やメディアの志士たちを走り回らせている自分達視聴者にだって存在しないのだ。記者がたった一人志を持ったとしても、寂しく餓死する一人の志高き国民としか評価されそうにないのだから、志を持て余していたとしても気を病むことはない。

報道番組をスポンサーに頼っている限りは、その三者つまりは報道番組制作者とスポンサーと視聴者のしがらみは消えない。



ネット検索で見かけた数々のJR西日本会見記者の罵声批判の矛先を見定めた今になってこんな記事を書いている自分の小ささが、やはり笑えて笑えない。CFの中で落ちた歯磨きをすくうキムタクのようである。

小っちぇ〜なぁ、俺…
posted at 2005/05/11 06:35 | Comment(0) | TrackBack(1) | 放送批評
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