山本五十六から笹川良一への手紙

2007年03月09日
 先日、久しぶりに会った父が、「面白い物を手に入れたぞ!」と、自慢気にと或る手紙の写しを見せてくれた。

 ふむ、相当の達筆、私にはほとんど読めない。

山本五十六の手紙

 読めたのは最後のたった一行だけだった。

「一月二十四日 山本五十六」

 この一月二十四日という日付、昭和16年(1941年)、太平洋戦争開戦直前の一月のことである。
 


 太平洋戦において、そして或る意味日本で最も有名な軍人、山本五十六。

 開戦直前の彼の直筆の手紙というのも誠に興味深いものだが、さらに興味深いのはその書簡の相手だった。

 “一日一善”で有名なあの笹川良一だという。

 あの笹川良一に、彼は一体何を伝えようとしたのか。真剣な疑問のよそで、子供の頃散々刷り込まれたあのメロディーが、ふと耳に鳴り始める。

 戸締まり用心♪ 火の用心♪
  月に一度は大掃除♪ ゲンゲン元気な月曜日♪



 父の興奮につられ、私まで興奮しながら携帯で写真を撮ったものの、こんな画像を自宅に持って帰ったところで、拡大したって読めないものは読めない。

 そんな私に、父はワープロで打ち出した原稿をくれた。

山本五十六の手紙

拝啓、益御清健此度は浦波号にて南洋を御視察相成候よし奉多謝候

世上机上の空論を以て国政を弄ぶの際、躬行以て自説に忠ならむとの真摯なる御心掛けには敬意を表し候、但し海に山本在りとて御安心などは迷惑千万にて、小生は単に小敵たりとて侮らず大敵たりとも懼れずの聖諭を奉じて、日夜孜々実力の練成に精進致し居るに過ぎず、恃む処は惨として驕らざる十万将兵の誠忠のみ有之候、併し日米開戦に至らば、己が目ざすことろは素よりグアム比律賓(フィリピン)にあらず、将又布哇(ハワイ)桑港(サンフランシスコ)にあらず、実に華府(ワシントン)関東百亜館(ホワイトハウス)上の盟ならざるべからず、当路の為政家果たして此本腰の覚悟と自信ありや、祈御自重、早々不具

(昭和十六年一月二十四日付、笹川良一氏宛私信全文)

 ふむ、こうして読んでみると、最も興味深いのは彼の立場と複雑な胸中であった。

 まさに太平洋戦争開戦のあの真珠湾攻撃を立案実行したという海軍司令長官山本五十六が、いかに開戦に慎重だったかがうかがえる。

 職業軍人としての彼の苦悩が、痛いほど伝わってきた。



 手紙を前にふと思い出したのか、父は職業軍人だった海軍軍人の祖父の話をしてくれた。

「そう云えばあの時、確か終戦直後のこと。おじいちゃんは毎日のように庭で焚き火をしていたよ。何日も何日も、毎日毎日焚き火をしては、何かの書類を延々と燃やしていたな。あれは何かの重要な書類だったのかも知れんな…」

 祖父は何を燃やしていたのだろうか。

 太平洋戦争終戦後六十余年たった今、まだまだ戦後世代の知り得ぬ情報がどこかに埋もれていそうである。
posted at 2007/03/09 17:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | 備忘雑録
この記事へのコメント
この手紙は本物なのでしょうか・・・
金に不自由しない笹川良一氏が何のために自分宛ての手紙を他人に渡したのでしょうか、とか、また、この手紙は国内で開戦直後に、最も重要な末尾の部分が削られ戦意昂揚に公表され、それが米国にそっくり伝えられ、日本への復讐心昂揚に利用され山本が殺される原因にもなった、など、いろいろ考えさせられる手紙ですね。
Posted by ああん at 2015年11月28日 13:11
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。