自由の在り処

2013年03月21日
 一体全体、“自由”というモノは何処に存在しているのだろう。閑散とした映画館のシートに沈み込み、映画『クラウドアトラス』を観ながらふと全く関係ないそんなことを考えていた。いや、全く関係ないと想いつつ考えてはいたけれど、実はそれが映画の根底に潜んでいたメッセージなのかもしれない。
 
 牢獄の中に自由はない。けれど牢獄に囚われていない自由な人々には、そもそも“自由”という概念は必要ない。
 愛も憎悪もない世界に“愛”という言葉も“憎悪”という言葉も存在しないがごとく、自由も牢獄もない世界にさえ、“自由”という言葉も“牢獄”という言葉もないはず。けれどこの世界にはそれぞれの言葉が存在している。“自由”を奪う為の“牢獄”。“牢獄”の外界に存在する“自由”。
 それぞれが相反する“愛”と“憎悪”のごとく絡みあっているけれど、では“自由”は一体何処に存在するのか。
 水の中に溺れている時こそ空気の存在を意識するがごとく、牢獄の中に囚われていてこそ自由の存在を意識するならば、もしや自由は牢獄の中にしか存在しないのか。溺れている水の中でしか空気の存在を感じられないのだから、空気は水の中に在るというがごとくの馬鹿なパラドックスに苛まれる。
posted at 2013/03/21 06:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑題雑想
この記事へのコメント

あ、オレ分かった!
分かっちゃった!
幸せは、いつも目の前にあるんだ!!
Posted by サーファーに憧れるニワトリ at 2013年03月21日 18:38
Whatever...(;ーー)
Posted by a_taro at 2013年03月21日 19:18
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