幻肢痛とミラーセラピーと文学

2013年03月01日
 以前より知っていたし、その効果には非常に興味があった事象だったけれど、大好きなハウスがなんとも判り易く示してくれていた。

Phantom pain in missing arm


 鏡と錯覚によりリリースできるなら、他の部位もできるはず。とはいえよく考えてみれば、人々はそれを日々実践しているようにも思えてくる。
 


 ファントム・ペイン:幻肢痛とは

「幻肢痛(げんしつう、英: Phantom Pain)は、怪我や病気によって四肢を切断した患者の多くが体験する、難治性の疼痛。あるはずもない手や足が痛む症状。例えば足を切断したにも関わらず、つま先に痛みを感じるといった状態を指す。あるはずのない手の先端があるように感じる、すなわち幻肢の派生症状である。by ウィキペディア:幻肢痛」

 先の鏡による治療法は、鏡療法、鏡治療、ミラーセラピーと呼ばれているという。



 よくよく考えてみれば、人々はそれを日々実践しているように思えてくる。

 手頃な“その鏡”を求めて人は書店に出向き、そして自身に見合った鏡を探し、そして手に入れては試す。

 エンタメの主人公に共感してはその役に鏡を見出して己を重ねあわせ、純文学の主人公の悩みに共感してはその人生に己の過去を見出してまた重ねあわせる。

 文学はハウスのやっていた事と何も変わらないのかもしれない。それは時に甘い味覚にオブラートされた糖衣錠のようなエンタメかもしれないし、時には顔をしかめるほど苦い粉薬のような辛辣な表現の純文学作品かもしれない。
 何もそこに存在しない四肢を映し出すという意味ではなく、そこに見えない心なりを幻影としてでも目の前に置いてあげるという意味では、鏡を強引に目の前に置き、求められし救いを目の前に提示するという状況は似通っている。


 半ば強引に相手の口を開けさせ、無理やり薬を放り込むようなそんなハウスの姿に何処か憧れる。


 Wikipediaにはその治療法も絶対ではないと記されていた。「この治療法の効果には個人差があり、決定的な治療法は見つかっていない。by ウィキペディア:幻肢痛」

 言い換えるならば、文学さえ個人差があり、決定的な方法ではないとも言えるのだが、それをさらに裏返せば、同様の方法となりうる事でもあるわけだ。

 ややこしいけれど、結局南極そういう事だと私は思う。
posted at 2013/03/01 03:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 語部修行
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