球体表面上に存在する境界線の内界と外界

2013年02月15日
 映画『愛を読む人』を観ていて、ふと思った。

 地球の上で、何かを境界線で囲っても、その境界線が何を囲っているのか、何に囲われているのか。よく考えれば考えるほど、判らないもんなんだなと。

 被告席のハンナ・シュミットが、“その時”の彼女の選択を責める裁判長に言葉を返す。

  ではもしあなたなら、どうしてましたか?

 戦争裁判で被告席を囲う見えない境界線が本当に被告を囲っていたのか、それとも裁判官やら傍聴人やら、さらにはそんな裁判に興味も抱かず、すでにその頃平穏な日々を送っていた人々までをも囲っていたのか。

 結局薬局、人は自分が何処に立つかでその世界が内界か外界かを決める。
 例えば何処かの国の国境が、その国を取り囲んでいるのか、それともその国以外の国を取り囲んでいるのか、一体どうやって区別するのだろう。

 アウシュビッツの鉄条網が、どっちの世界を取り囲んでいたのか。北朝鮮の国境が、北朝鮮を取り囲んでいるのか、それとも欧米諸国を取り囲んでいるのか。ネット依存に陥った者の部屋の壁が、彼を取り囲んでいるのか、それとも彼を含有しないアウターワールドを取り囲んでいるのか。

 ふと、映画『愛を読む人』のワンシーンが、武田泰淳『ひかりごけ』の裁判シーンと重なる。

 球体の表面において、円を描いて閉ざされた境界線で何かを取り囲んだとしても、境界の外界はその外界の地にいる者たちにとっては結局は境界の内界であり、境界の内界はその内界の地にいない者たちにとっては所詮は境界の外界となる。

 このパラドックス、判ってもらえるだろうか。
posted at 2013/02/15 23:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 台詞台帳
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