飴と鞭と教師の体温

2007年01月23日
 ある日の某国営教育TV、「わくわく授業」という名の番組枠で、まさに惑々という表情を見せる鉄道マンの卵たちを見てふと思った。

わくわく授業 わたしの教え方
 あこがれを職業に 高2
  〜岡野誠治先生の鉄道専門科目〜

 東京都台東区にある岩倉高等学校は、明治30年に私立鉄道学校として創立された歴史ある「鉄道マン育成高校」です。生徒たちが楽しみにしているのは、「運転取り扱い」という鉄道法規の授業と、「運転実習」という本物そっくりのシミュレーターを使った電車の運転や車掌の仕事について学ぶ科目です。
リンク→番組紹介サイトより

 今時珍しく素直な生徒たちだな……。
 
 そこで学ぶ生徒たちは、物静かで優しそうな先生の言葉に真剣に耳を傾ける。その顔はとても素直で、反抗のはの字も見当たらない。



 想像するに、彼らが日々学んでいる教えの多くは、既に身についているものも多くあるはず。運転の仕方など、日々通学の道すがらに熱心に勉強していそうでもあるし、信号の見方やその存在意義にしたって、各種鉄道雑誌を読み漁る彼らには「そんなこたぁとっくに知ってるってば……」なんてものに思えてならない。
 いや、そういう者たちばかりがそこに進学しているはずなのだ。だが彼らはそんな素振りを一切見せず、真剣かつ熱心かつ素直にその教えに耳を傾け、先生たちの口々に響く教えを自らの知識に上書き吸収している。

 そんな素直な彼らが実習用の大きなシミュレーターの中で、楽しそうに鉄道マンになりきる姿を見て気がついた。

「そうか、コイツが、この馬鹿でかいシミュレーションゲームのような大きな実習が、彼らにとっては巨大な飴玉なんだな。だから彼らは素直に耳を傾けていたんだ」

 何も彼らのあざとい下心に呆れているわけではなくて、甘く美味しい飴玉もやはり時には必要なのだということ。素直な彼らの表情を見ていると、その学校には教師への反抗も構内暴力もいじめすらないような気がしてきたからである。

 飴と鞭

 普通この言葉の飴は必ず鞭を伴う。甘く大きな飴があってこそ、鞭はその威力を発揮するというもの。だが、彼らを見ているとその鞭の陰が見えてこない。ふむ、飴がしっかり甘く愛おしく見えるなら、必ずしも鞭はなくてもよいということか。
 例え恐ろしい鞭がそこに無くとも、甘く愛しい飴の陰が痛々しい鞭を想像させ実際の痛み以上の効果を発揮する。本当に痛い鞭など、実際には必要ないのだろう。痛々しい鞭の音を想像させるだけで十分なのかもしれない。静かな学び舎に響く鞭の音が、例え彼らの耳に一度も聞こえなくたって、想像させるだけでいいのだろう、きっと……。

 暮れだか正月だかにニュース映像に登場するなまはげだってそうではないか。本当に子供をさらっていく“なまはげ”など今時どこにもいないのだし。



 何日か前になまはげの再来を告げたアナウンサーが、今度は“大学全入時代まもなく到来”などと独り言を口にする。そのニュースの中での大学関係者の言葉に、新春らしくない嫌な寒気が漂った。

「学生はお客さんですから……」

 ふむ、学生がお客様に成り上がったこのご時世、教師はいつしかクレームに怯える接客係か営業マンに成り下がったわけだな。

 そんな勝手な想像を裏付けるように、大学関係者はやれ格安学生寮だとかカラオケ施設完備だとかと、学生や親への飴玉を国営放送でしきりに宣伝する。



 話は三十年ほど遡るが、四十路の我々が小学校の頃だったろうか、学校の中では“躾”という言葉は響き失い、その代わりに“体罰”という括りが不協和な音色を広げ始めた。あの頃、あの時こそ、学校という組織が崩壊し始めたまさしくその瞬間だった気がしてならない。

 学び舎における“躾”という日本語を、“体罰”と言い換えてしまった最初の人は一体誰だったのだろう。親の過剰な反応を想像し過ぎた自信過少な教師だったのか、それとも教育の責任を学校の教師たちに丸投げした自信過多な保護者だったのか。

 まるで癌細胞に蝕まれる膵臓のように、学び舎はその時代音も立てずに綻び始め、その根本的な存在理由すら果たせなくなっていく。教師たちは優しさに満ちた躾の痛みを奪われ、鞭の陰なき飴を教室でただ配るだけの薄ら笑いに満ちたおじさんおばさんへと成り下がる。まるでベース報酬しか手にしたことのない“いかがわしい個建て住宅営業マン”のごとく、“今日もとりあえずは仕事してる振り”をするだけの規定線上の教師に……。



 私が小学校の時、学校に新しい先生が赴任してきた。五年六年の二年間を担任してくれたその先生の名前は変わった名前だった。その珍しい名前と、当時海外ニュースによく登場したアメリカの大統領補佐似の風貌から、我が家ではその先生を出雲ンジャーと密かに呼んでいた。

 その出雲ンジャー氏の必殺技はサンドイッチ。宿題を忘れた生徒や遅刻した生徒、時にはどうしても必要な何かの文房具を忘れた生徒などにそのサンドイッチ罰を下す。
 ただでさえ大きな先生が、その腕を左右に大きく広げ、生徒の頬を両側からバシっと打つ。手の平は大きくて分厚くて、バチンと打たれるとそれはそれは痛かった。

 ふと思い返してみると、何度も味わったはずのその時の痛みが、頬が真っ赤になるほど打たれたはずのあの痛みが、今となってはどうしても思い出せない。

 それよりも思い出すのは、痛い鞭以上によく遊んだことである。
 授業を中止にして体育館でキックベーズボールをすることもよくあった。クラスは最高に興奮し、全員が笑っていた。

 まぁ実は少々のいじめっ子といじめられっ子もの対比もあったのだが、キックベースに興じる間はそんな二人でさえ笑い合っていた気がする。

 結局あの鞭であるサンドイッチにしたって、あの肉厚で分厚い手の平で痛む頬をそっと包み込む優しい感覚だけが蘇るのだ。

 あの手はとても温かかった……。

 冷静に考えてみれば、打たれた頬が赤くなればそこに熱を感じるのも当たり前のこと。それを温かみと取るのも当然である。だが、その温かさは先生に打たれたからなのだ。今は懐かしきあの先生の手の温もりを、今時の小学生は感じる機会もないのだと思うと、まったく哀れでならない。

 その温かき手を挙げなくなったしまった教師の手の平は、もうすっかり体温を失い冷えきってしまったのだろうか……。



 私は時々妙な疑問を投げかけたくなる。躾と体罰の微妙な違いを無視し、やれ体罰だやれ暴力だとお馬鹿で無責任な勘違いを叫ぶ人々にである。

 赤ん坊に何かを教えようとして、黒板に教えを書き記し「ハイ、ここ重要です!」などと言葉で諭そうとする馬鹿がどこにいる?

 今時の小学校中学校の生徒たちを赤ん坊に例えるのもあまりに極端かつ失礼で、少々馬鹿ているとは判っているけれど、真っ赤に燃えたぎる熱いストーブに歩みよろうとする赤ん坊を、言葉だけで諭すことのできる教師に一度会ってみたいものである。

 今や小学校どころか中学高校すら赤ん坊同然の生徒に満ちているではないか。



 どこぞの有名寺院の管長住職が同じく某国営有料放送で説いたお言葉が、ふと蘇り微妙に重なる。

 善の心をもってすれば、それは善である。
 例え虫を殺したとしても、大の虫を生かさんとして小の虫を殺すのであれば、それは善である。

 悪の心をもってすれば、それは悪である。
 例え誰かに水を飲ませてあげたとしても、悪の心をもって飲ませた水であれば、それは悪である。
NHK「あの人に会いたい」より
清水寺管長大西良慶氏の言葉

 ふむ、対照的な言葉を言い換えてみると面白いかも知れない。例えば“教師の保身の心”などと言い換えてもいいだろうし……。

 “生徒を思いやる心”をもってすれば、それは“生徒への思いやり”である。
 例え生徒の鼓膜が破れたとしても、生徒の成長を思っての事故であれば、それは“思いやり”である。

 “教師の保身の心”をもってすれば、それは“保身の為だけの身勝手な自己満足”である。
 例え生徒が東大に進学し、末は博士か大臣になれたとしても、“教師の保身の心”をもって施した教えであれば、それは……。



 風の噂では、どこかの小学校の先生の手によって一人の生徒の鼓膜が破れたと耳にした。その小学生も今やきっと四十路を迎えているはずである。彼は一体どんな人間に成長にしたのだろう。

 彼の頬に蘇るその痛みが今となってはどんなものなのかを、私は知りたくなった。もしあの頃、自分の鼓膜が破れていたとしたら、それでも思い出は温もりに満ちたものだったのか。

 私なら、きっと温かい思い出になっていたに違いないと信じているのだが……。

 今の教育論議を、出雲路先生は墓の中でどう見ているのだろう。
posted at 2007/01/23 23:55 | Comment(11) | TrackBack(0) | 雑題雑想
この記事へのコメント
はじめまして。
SAKURAと申します。

実は・・・
今日はお休みで暇していたので、
Googleに私が幼い頃から記憶している名前を
いろいろと入れていたのです。

で、ふと小学校の時に確か怖〜い担任の先生がいたなと思い出し、
「出雲路先生」と入れたところ・・・
いろいろ出てきてあちこち見ているうちに、
ここにたどり着いたのです。

コメント、読ませていただきました。
そしてもうひとつあ!っと思い出したことが!
そう、「サンドイッチ」!!!!
ということは!?
もしかしてあなたは***小学校でした?

違っていたらごめんなさい*_*
ひょっとして同級生だったりして・・・
と思ったものですから。。。
Posted by SAKURA at 2007年02月04日 03:49
追伸

ちなみに・・・
私は教室の電気を消し忘れて、
他同級生3人と一緒に
「サンドイッチ」
バシッとやられました!
後にも先にもたった1回だけだったけど、
妙に忘れられません。
Posted by SAKURA at 2007年02月04日 03:55
出雲路先生、お亡くなりになられたのですね。
いつか一度お会いしてみたかったです。
残念です。。。
Posted by SAKURA at 2007年02月04日 04:01
SAKURAさん、こんにちは!
そうでしたか、あなたもあのサンドイッチを味わったんですね。でも一回だけ? まじ? 優等生だったらしい…(_ _;)

ちなみに小学校は違います。(同じ区ではありますが。)ということで、たぶん年も若干ずれてると思います。

きっと…、きっと今の小学校には、あんな先生はどこにも居ないんでしょうね。残念でなりません。
Posted by 映太郎 at 2007年02月04日 12:49
そうですか・・
私は4年生の時に担任をしてもらったので
映太郎さんとは同級生ではなかったのですね。。。

今となっては出雲路先生のサンドイッチしか覚えていなくて、どこ出身でその後どうされたのかも辿るすべもありません。

もし何かご存知でしたら是非教えてくださいね。

なぜ急に先生のことを思い出していろいろ知りたくなったのか自分でも不思議なのですが・・・
Posted by SAKURA at 2007年02月06日 23:45
SAKURAさん、再びいらっしゃいませ!

それは…、
きっと出雲路先生が何かを忘れたあなたに、何かを思い出して欲しくて話しかけたからではないでしょうかねぇ。

ちなみに私が担任して頂いたのは、小学校5〜6年の時です。1963年製の私が5年生に進級した春、先生は私の学校に着任されました。

数十年の時を経た今になって、学校や年齢の違いを超えた教え子同士で出雲路先生の話をしているというのも、誠に不思議なものですね。

先生は何を云いたかったのでしょうか…。
Posted by 映太郎 at 2007年02月07日 02:32
あらら・・・
実は私も63年製です。
私は4年生の時に1年間だけ担任していただいたので、5年生にあがる時に先生は映太郎さんの学校に転任されたということですね。。。
なるほど。どうりでそこから出雲路先生の記憶がぷっつり切れているわけですね。
新しい着任先ですぐに映太郎さんのクラスを担任されたと。
ふむふむ。おもしろいつながりです♪

先生はいったい私に何を思い出させようとしているのでしょうかね。。。
ゆっくり考えてみようと思います。
Posted by SAKURA at 2007年02月07日 16:27
あらら・・・
実は私も63年製です。
私は4年生の時に1年間だけ担任していただいたので、5年生にあがる時に先生は違う学校に転任されたということですね。。。
なるほど。どうりでそこから出雲路先生の記憶がぷっつり切れているわけです。
新しい着任先ですぐに映太郎さんのクラスを担任されたと。
ふむふむ。おもしろいつながりです♪

先生はいったい私に何を思い出させようとしているのでしょうかね。。。
ゆっくり考えてみようと思います。
Posted by SAKURA at 2007年02月07日 16:31
一度目が確認できなかったのでもう一度クリックしたら、
同じのが2度も送信されてしまいました。
*_*ごめんなさい。
Posted by SAKURA at 2007年02月07日 16:34
SAKURAさん、毎度です!

で、そうでしたか…、そちらからこちらへ転任されていたんですね。不思議な縁です。

>…2度も送信されて…*_*ごめんなさい。
家々お気になさらずに、とはいえ“お気に”な頁にして頂けたら幸いです。

ちなみに記事にも書きましたが、一度アメリカのキッシンジャー補佐官の写真でも画像検索してみてはいかがです? あの当時は結構似てる、いやそっくりだと思っていたので…、先生の顔を思い出せるかも知れません。ではまた。
Posted by 映太郎 at 2007年02月08日 00:12
見ました!
そうでした、確かにああいうお顔でしたね〜!

あの当時でおいくつくらいだったのでしょうね??

1年間担任していただいていたというのに、
記憶に鮮明に残っているのは「サンドイッチ」と、
授業中に遊んだことだけなんですよね。
小4生の記憶ってそんなものでしょうか。。。


Posted by SAKURA at 2007年02月09日 18:47
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