+1ミス−1ミス=0ミス?

2005年04月26日
原因は色々あるだろうが、異例な状況や異例な規模の事故や災害というもの、ミスや例外の異例な組み合わせや異例な累積が常に浮かび上がる。

4月25日午前9時18分ごろ…以来、時々刻々と伝えられる報道の累積は、注目の中心点をあっちへこっちへと変えているように思えるが、根本的な疑念のやじりは少しずつ一点に狙いを定めているかのように思えてくる。

私がお気に入りのNHK報道検証番組「クローズアップ現代」では、JR福知山線脱線事故を一日遅れで取り上げていた。担当のNHK国谷裕子アナが、右上がりの斜線が何十本も並ぶ過密なダイヤ表を説明する。「定刻」という言葉にただでさえ拘るその職場が、さらに異常なほどその言葉だけに拘りプロセスを無視していたらしい。

ふと私は、かつて店長をしていた生花販売チェーン店の日報記載事項の可笑しな矛盾を思い出した。
 
 帳尻合えばすべて良し

オーバーランにより生じた1分30秒の遅れは事実としてすでにそこに確実に存在する。にも関わらず速度調整で徐々に補正し最終的には遅れゼロにできるだろうという考え方と、たぶん今まで何度も実行し成功しただろう巧みな帳尻合わせの経験の存在を匂わせる。



私が勤めていた花屋は、その地域ではそこそこ中規模の堅実な会社だった。全国的に名が通るほどではなくとも、そのエリアでは着実に規模を大きく発展させていたことを考えると社長はかなりのやり手だったと思う。

やりての社長の奥さんがまたかなりのやり手の女性で、本店の店長を勤め幾つかのテナントタイプの支店たちを束ねていた。

短い期間ではあったが、小さな支店を任された私はある日ふと訪れた閉店後の本店での、店員たちと店長である奥さんの会話を耳にした。

日報を記入する店員の周りで、女性たちがお喋りをしている。

「店長! 違算金がゼロになりました!」
「やったわね!」
「ヤッタヤッタァ!」

みな笑いながら喜んでいた。だが、私は愕然とした。違算の原因は色々あるだろうから、それはそれで問題なのだが、私はそのある種のエラーである違算金に対する考え方の違いの方がよっぽど驚きだった。

レジを打つ仕事をしたことがある人なら、みな知っていることだろう。閉店後の店内、売り上げと釣銭の合計が実在する現金と合わず何度も何度も数え直し計算し直す嫌な時間が存在することを。

その頃本店では何日か前に発生した大きな違算金(計算上の売上数字と現金の差)が後を引いていた。確か9千数百円だったと記憶しているが、その日の違算の数字を加えるとなんでも累計数字がほとんどゼロになったというのだ。

ゼロになったらOKなのかい?
 おいおい、そりゃちょっと違うんで内科医?

一万円のズレが発生した日とは別の日に、再び一万円のズレが生じたもののプラマイゼロだから前回のミスはチャラだなんて…。

そりゃ一万円近い違算を出した日も問題である。一万円も釣銭を多く渡すことはまずあり得ないだろうから、小さなミスがその日に限って幾つか重なったのか、計算上のミスだったことは想像できる。だが、ミスが存在したことは確かだし、ミスが少なくとも一つ以上はそこに発生した事実も変わらないはずなのに、それが数字上であれゼロになり消え去ることがなんとも可笑しな話ではないか。

(+1ミス)+(−1ミス)=0ミス

そんな等式の理屈が通るなんて…。私には理解出来ない。



4月25日午前9時18分ごろ…、電車は終着駅にはまだほど遠い区間を走っていた。だが多くの乗り換え客を降ろすだろう尼崎駅での数分の定刻遅れは、公私共に影響が大き過ぎると彼らは考えたのだろう。

「定刻」という言葉に拘ることは理解できるが、「次こそ、そのまた次こそは、そして結局いつかはプラマイゼロでミスは帳消しすべてチャラ」という馬鹿げた解釈が、彼らだけでなく確かにその職場全体にあったことは想像できる。

年末決算にはまだ時間があるが、月末のミーティングを真近に控え違算金額が数字として残りそうだったどこかの花屋の本店の店員たちのように、運転していた者と7両の車両のお尻で彼をフォローしまくっていた者。二人も何かを怯えていたとしか思えない。

彼らは「定刻」という言葉を崇め敬うのではなく、「定刻」という呪縛を至上に掲げた「上の人々」、そのまた上の「上の人々」を恐れ慄いていたとしか思えない。いまだ救助されない先頭部分の運転士と、7両の車両の最後尾でまさしく帳尻合わせをしていた車掌の二人をそこまで追い込んだのは何だったのだろう。

ミスを憎んで二人を憎まず

誰かがそう叫んであげなければ、二人は可哀そうであろう。特に、運良くなのか運悪くなのか、無事生還してしまった車掌の肩が地球の七十数倍は重そうで、可哀そうで仕方が無い。

救出順序をあえて最後まで、どう考えてもわざと伸ばしているとしか思えない救助隊の姿勢は、彼への究極の思いやりなのだろうか。
posted at 2005/04/26 23:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 報道批評
この記事へのコメント
ご無沙汰です。

毎朝乗る電車で、「毎度混み合いましてご迷惑様です〜」っていうアナウンス。謝るほどでもないけど、電車は何も無ければ走るはず。

世の企業が一極集中してるから悪いのだし、同じ時間に仕事始めるから悪いんじゃん!といつもいつも会社の開始時刻と立地条件を恨むこのごろ。

そして、その混んだ時間に限って飛び込みたくなるのか?人身事故、殺伐とした世の中…重たい気分ですね〜。
Posted by KaN at 2005年04月27日 20:33
KaNさんオヒサですう!
過剰な自粛ムードって普段はあまり賛成しない方なんですけどね、さすがに事故関連報道の放送後のCMあけに明るい話題なんかが出てくると、ちょっとやりきれなくなります。

今、たった今このコメントを書いているこの瞬間にも、体育館のロビーでその憎むべき知らせを待ち続けている人がいるのだろうなぁと思うと、どっぷりと落ち込みます。

ところで、現場で鳴り続けている携帯の着信音って、一体どんなメロディーなんでしょうか。たぶん明るいな曲ばかりなんでしょうね。目をそむけたくないので、どんな曲なのか、どんな音なのかを思いっきり想像してます。やり切れませんが…。
Posted by 映太郎 at 2005年04月27日 21:38
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