老婆心という言葉の裏側

2012年11月26日
 その意味を最近良く考える。


   老婆心―ろうばしん


 最近、といってもここ数年の事だけれど、その言葉の存在する意味を、年をとったせいかよく考えるようになった。
 切捨ても切り上げも四捨五入もせず、ラウンドダウンもラウンドアップも見栄も張らずに齢四十九、この歳にて。
 


 その言葉の意味は、皮肉にもその言葉が存在しない日常の奥底にこそ潜んでいるように思えてならないのだ。

 愛という言葉が、その意味の裏側でこそクリアに見えてくるがごとく。


  老婆心 とどめ我が身の 老いば知る


 若い頃は何でも彼んでももう十分知った判ったと思えていた。その頃何も言わなかった年寄りたちは、ただ気付いていないのだと思えていた。気付いていないのだから、ただ云わないどころか、云えるわけもないのだと思えていた。云えるわけもないどころか、どうせ何も気付いていないのだろうと思えていた。
 俺こそが始めて気付いたとでもいうように、俺だけがそれを気付いたとでもいうように、俺ら世代だけが判っているんだとでもいうように、ただただそう思えていた。

 けれど……。



 そんな言葉、自分が吐くなどとは思ってもいなかった。

  どうせそのうち気が付くさ

 そんな投げやりな言葉を、自分が吐くなどとは思ってもいなかった。けれど、ふとそんな言葉が喉元までこみ上げるようになっていた自分に気が付いた。振り返ればすでにもう何度か吐いていた。



 ……なんてことさえ、どうせそのうち気が付くさ。遅かれ早かれ、どうせ私たちが居なくなる頃には……。
posted at 2012/11/26 03:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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