すっぴんな『綿矢りさ×高橋源一郎』

2012年10月29日
 ふ〜ん。 

綿矢りさ×高橋源一郎 1/3


 ほ〜ほ〜、なるほろ。 
 
綿矢りさ×高橋源一郎 2/3


 ふむふむ、たしかに。

綿矢りさ×高橋源一郎 3/3


 こそこそ、めもめも。



 悩みなんてこれっぽっちも無さそうに見える。
 不安も、憂鬱も、鬱屈も、屈折も、劣等感も、……。重荷は何ひとつ無さそうに見えるけれど、そういった他者への印象も、或る意味最大の偏見なのだろう。

 人というもの大抵は、“私の荷物はとにかく重く、それがおまけに沢山あって、それに比べてあなたの荷物はちっぽけでちょびっとでいかにも軽そうだしなんと羨ましいことか”と思いがちな気がするけれど、そう受け止めること自体も、何処か危ういものに思えてきた。

 誰だって背負う荷物はひとつ……、そう思えればいいのだけれど。
posted at 2012/10/29 10:28 | Comment(13) | TrackBack(0) | 雑題雑想
この記事へのコメント
コメントありがとうございました。
でも、果し合いなので作者がコテンパンにのされる事だってあるのですよ。
今回僕はちょっとそういった事をしてみようと思います。
「どうやって?」への回答として。

ちょっと、この人と表現者として勝負してみたくなりました。
バカだなと思いましたが、僕はバカなのでしょうがないですよね。
Posted by 泣き虫移った at 2012年10月30日 03:41
 沈むなら とことん沈め 底までも
  底を蹴る為 浮上する為

 人はみな、あと10センチで底に立てるプールの中で、もがいている。底まで沈めば、底を蹴ってベクトルが反転するのに。

>バカだなと思いましたが、僕はバカなのでしょうがないですよね。

 バカ、同意求めるなよ。一体このバカに、さらになんと云えばいいものか……。

「君“も”バカだから、しょうがないと思うよ」

 励ましたいのか、凹ませたいのか、さっぱり判らん。まぁ今までの話の流れからすると、我々のすべき事はひとつ。浮上ベクトルを与えるべく、底まで沈ませること。泣きわめこうが、暴れようが。圧迫合評ってことだな。

 次回はもっと濃い目のサングラス用意しとこ。俺はそれを冷静に観察する自信がない。
Posted by 映太郎 at 2012年10月30日 04:15
合評でなんて、そんなもったいないことしませんよ。
それに、合評で出来る内容ではないので。
サシでします。

Posted by 心配ご無用 at 2012年10月30日 21:27
墓二つ掘っとけよ……(:ーー)

表現キツいな、反省。
ハンカチ二枚用意しとけよ……(ーー:)
Posted by 映太郎 at 2012年10月31日 02:31
ハンカチも、お墓も用意しませんが。
Posted by ビビリ人間 at 2012年10月31日 03:31
なぜAさんがNさんの事を「最も遠い所にいる」と言いたかったのか。
それは多分、Nさんの作品にヒトが書かれていないからではないのでしょうか?
どの作品にもヒトが描かれていた形跡がないように思いました。
本当に「最も遠い所にいる」のかということはさておき、確かにある意味では最も遠いのでしょうね。
残念ながら。
Posted by 閃いたヒト at 2012年10月31日 03:34
 まさか今さらになって初めて気がついたんか、そんなこと。何年付き合ってるんだよ…(;ーー)

 生きている人間から得た情報、言葉、感情、感動、反応、……。そういったモノがそこにこれっぽっちも無いからだよ。

>作品にヒトが書かれていない……
 このヒトという言葉の、或る意味創作者の対象としてのヒトという対象物の、最も身近な存在は一体誰かって事。それすらも感じられないんじゃ、他人が描けるわけがないだろ。

 けれど彼からしたら、ヒトなんてモノより世界を描こうとしてるんだから、いいんじゃないの。彼にとってはヒトがいなくなっても世界は世界で存在するのだろうし。

>残念ながら
 残念と思うのはあくまで他者でしかない我々であって、それはどうしようもないね。けれど、その孤独までもが哀れでならない。
Posted by 映太郎 at 2012年10月31日 04:16
ついでに。

 N氏とM氏を比較し、私がN氏は遠く感じ片やM氏は身近に感じ、N氏には興味はなくM氏に興味を抱き、M氏の言葉に何時間でも熱心に耳を傾けるのは、自分を含めた人間という対象への強烈な関心を、自分同様に持っているのだと思えるからかもしれない。

 人は関心を愛という。

 それを裏返せば、誰かさんにはそもそもヒトへの愛が欠落しているのかもしれないねぇ。
Posted by 映太郎 at 2012年10月31日 04:32
認知する自分がいなければ、世界は存在しませんよ。
故に自分=世界が成り立つし、そもそも認知する対象がいない世界なんて本当にお伽話にすぎません。
そんな世界があるのなら、オタクの下らない妄想よりもリアリティーの低い世界でしょうね。

Aさん言い過ぎですよ。
僕はそうは思いません。
関心があることの裏返しだと思いますが。
因みに付き合いは一年です。
Posted by 認知する自分という存在 at 2012年10月31日 04:43
リアルタイムチャットのようになってきたな。

 言い過ぎ……、反省。
 ちなみに余談ではあるけれど、君の言葉になんで私がこれほど素直に反省するのか。たぶん君には嫌われたくないからなんだろうなぁ…と最近つくづく思っている。

 関心の裏返し……。たしかにそれはあるかもと、今ちと納得。

 まぁ極論ではなくもっと具体的な意味での人間臭い話が、私は読みたいし、直接聞きたいのだと思う。そういった人間臭い話が、N氏の口からはあまり聞こえてこないのが残念であるだけで、けれどそれは私の求めるものでしかなく、それを出せ書け読ませろ〜というのも野暮だから、それを押し付けるつもりはない。ない。ない、つもり、のつもりなんだけど…。
Posted by 映太郎 at 2012年10月31日 04:56
嫌いになる?
現状ではどんなことをしてもあり得ないと思うのですが、むしろAさんの方が僕の方を嫌いになる方が先なのではないかと、そう思いますよ。
嫌いにはなりませんよ。ドライブしている限りは。
ドライブしていない人とか、自分がドライブしていないのに、その代わりの物をこれ見よがしに見せつけるような人が嫌いなだけです。
Posted by 嫌いにならないと思いますが。 at 2012年10月31日 05:09
 不安というのは、実際に起きる可能性は問題じゃないでしょう。
 K氏の件にしても、問題なのは嫌われる事よりも嫌われる事を恐れていた事だし。ちなみに自分を嫌っている対象から―悪い意味ではなく目を逸らし―、それを恐れている自分こそを対象として観察しはじめたK氏にとって、すでに問題は収縮を始めたのだという安堵がある。

 根底には安心感。
 コイツはきっと、軽蔑を抱いたら軽蔑すら面と向かって口にするだろうな、そんなヤツだな。…という安心感。
 それをモットーとしてきた私にとっては、或る意味同じ匂いのする生き物だなぁという安心感でもあるのかもしれないね。

 そういう意味でも、あの紙切れは突き刺さる。

 罵声を十個列挙すれば、それ即ち自らの十の劣等感。ってことかぁ……、海原海原。
Posted by 映太郎 at 2012年10月31日 06:55
 冷静になってやや別の意味で反省反省、自粛自粛、自戒自戒、自重自重。

 やはり優しい言葉を掛けてあげることにしよう。誰にでも、皆等しく、暖かい賛辞を与えてみよう。目的が同じで結果が同じなら、優しく暖かい事に越したことはないし……(:ーー)
Posted by 映太郎 at 2012年10月31日 23:27
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