詩『海』by 詩人

2012年10月24日
 詩を拾った

 2012年10月24日、詩を拾ってしまった。

海 by 詩人



 
  海

 詩人 著
 出版社未定
 
 作品紹介はない。詩人の後書きなんて無意味だろうし、事前の紹介も無意味だろうし、添えられる言葉はただ一つ、ただそこに詩が一つあります…という言葉だけ。(映太郎)


 若い詩人がポイっと、何処かこれみよがしに落としていった詩を、ふと拾ってしまった。
 


 誰かのラブレターを拾ってしまったような、誰かの遺書を拾ってしまったような、妙な後ろめたさと、捨てるに捨てられない、何処か恐ろしくもある責任を感じ、拾ったその場で立ち尽くしてしまったあの時のような妙な気分。

 僕はそれを大切にしまう。


  海
              
さよなら雨が降って
濡れる 自分
落ちた先を辿れば
空に雲
雨の素を辿って来たら
足元は広大な海
上も下も広大な水に囲まれながら
さようなら
 と
そう言って さようなら
思い出す

友達にさようなら 先生にさようなら 先輩にさようなら 女友達にさようなら 犬にさようなら 猫にさようなら 二度と会いたくないやつにさようなら 二度と会わない人にさようなら 二度と会えなかった人にさようなら 好きな人にさようなら 嫌いな奴にさようなら モルヒネ漬けのおじいちゃんに、病室で最後のさようなら さようならと言わないさようなら

さようならの後
さようならが
さようならとなって
さようならにさようなら

詩人がいう
海は広い
言葉の結晶がすぐに溶けてなくなり、例えそれが自分や相手にとって全く違う物になってしまっても、投げ入れた結晶はもはや誰の手にも残らないものだとして
わかっていても
それをひたすら繰り返せ

詩人がひとりたたずみ
目前に



Posted by 考える人 at 2012年10月24日 04:53


 たぶん、持ち主にはどうせ返さない。

 返したとして、どうせもう本人はこの詩を必要としていないのだろうし、それを本人が知らなくても、私がそう思う。

 詩人なんて、たった今だけで生きている脳ミソだけの生き物なのだし。
posted at 2012/10/24 05:44 | Comment(4) | TrackBack(0) | 書籍批評
この記事へのコメント
もったいない?
そうですね、折角なので言わせてもらいますが。
もったえぶってるから“表現”から離れていくんじゃないのでしょうか?
絵は個人が所有し、優越感に浸るための道具とされているより美術館に置かれている方がよほど本来の表現としての価値を全うできうるでしょう。
小説も売れるとか売れないとか言っているから表現としての魅力がなくなってゆく。
詩が純粋であり得るのは現在の状況が運良くそれらとは無縁のところにいるからではないのでしょうか?
純粋に、表現だけの表現。
それはもう、ある個人と個人の間で交わされるラブレターと同じなのかも知れませんが。
ラブレター。
あれだけ純粋な表現が他にあるでしょうか?
Posted by いま、ここ、自己 at 2012年10月25日 00:46
ラブレターだったとは…(;ーー)

僕は君の愛を受け入れる自信がない。あしからず。待ち人未だ…で、今それどころではないし。
Posted by 映太郎 at 2012年10月25日 18:23
大丈夫です。
映太郎さんへのラブレターではないので。
悪しからず〜。
Posted by 青春謳歌 at 2012年10月27日 02:54
・・・・・。
Posted by (;ーー) at 2012年10月28日 09:29
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