小池 昌代著『弦と響』

2012年10月17日
 2012年10月17日、こんな本を読んだ。

小池 昌代著『弦と響』光文社/光文社文庫/AMAZON



 
  弦と響

 小池 昌代著
 光文社/光文社文庫
 
 結成から三十年、鹿間四重奏団がラストコンサートを迎える。最後の演奏に向けて、さまざまな人の思いが交錯する。四人のメンバーを始め、舞台を支える裏方、客席の聴衆…、それぞれの視点で語られる特別な一夜。終演後のホールに漂う残響と、外で降りしきる雪の静けさが、カルテットの終焉をもの語る。極上の音楽を聴いた後のように、心地よい余韻に浸れる秀作。(作品紹介)


 正直、最初の数頁は買いを後悔した。

「〜ん、なんか違う気がする」

 けれど、読み進めるうちにその後悔を後悔しはじめた。

「ん?、なんか違う気がする」
 


 そもそも書店の平積み陳列に結構弱い。

 とはいっても、かつての“レコードのジャケ買い”のように本を表紙デザインだけで選ぶわけでばないけれど、やはり飛び込んでくる情報量が違う分、何かにふっと触れるものの食いつきがやはり違うのは確か。

 平積みだけをざっと見渡して書店を通り抜けるように立ち去ることも多々或るのだが、この本も或る渋谷の書店をさっと見渡し、店を出ようとした最後の瞬間、店頭の平積み棚で見つけてしまった一冊だった。中も確かめずにまずは衝動で買う。

 家に帰ってからゆっくりと頁を捲り、数頁目を通し、〜ん、何か違ったかなとやや後悔しつつも、好きな音楽に関する記述だけをちびちびと楽しみながら読み進む。

 読み進むうちに最初に抱いた違和感の原因に気が付いた。章ごとに語り手が変わっていくのだ。章が変わる度に主観が移行していき、その主観ごとに当然のごとく語りの口調も変わっていく。中でも驚いたのは時に作者まで登場する。


 語りださない主人公がいる。
 彼はずっと沈黙している。
 彼については、すでに多くの人が語った。
 しかし彼は語りださない。作者としては、困惑している。なぜしゃべらないか。しゃべってくれないか。だがわたしは、困りながらも、黙っている彼を、どこかで信用している。彼は……
 
P140“ファーストバイオリン”より
小池 昌代著『弦と響』光文社/光文社文庫

 ほう、そう来るか……、といった軽い驚きを感じ始めた頃には、すでに作者の術中にすっかりはまっていた。ふむ、それがいつしか心地よくなり、後半は一気にストーリーに没入する。

 解説の清水良典氏の締めの言葉に思わず頷く。「コンサートに出かけてみたいという願いが宿ったとすれば、この小説のが書かれた甲斐もあったというものだ。解説 清水良典」

 久しくクラシックのコンサートなど行っていない。
 行っていないというか、いつのまにか行く気もなくなっていたというか、行ってないことすら気にしなくなっていたというか。

 失っていたことさえ気がついていなかったことに気づくというのは、ただ何かを失ったという辛さとはまた別の辛さが身に沁みる。あぁ、あぁ、あぁぁ。

201210111714-201210171539
posted at 2012/10/17 15:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍批評
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