小川洋子著『カラーひよことコーヒー豆』

2012年09月21日
 2012年9月20日、こんな本を読んだ。

カラーひよことコーヒー豆―小川洋子著/小学館社―小学館文庫 
 
 
 
 
  カラーひよことコーヒー豆

 小川洋子著
 小学館社/小学館文庫
 
 インドとドイツの区別がつかなかった子供のころ。「君、明治生まれ?」とボーイフレンドに揶揄された学生時代。そんな遠い日の思い出と、ささやかな日常の場面の中にある人生の真実――。三十一の宝石のような掌篇が詰まった、小川洋子さんのエッセイ集。
 小説を書くとき、登場人物の職業を最も重要視するという著者が働く女性に向けるまなざしは、暖かなはげましに満ちている。そして、繰り返されるその日常こそが、かけがえのない幸せなのだと読む者に気づかせてくれるのだ。
 文庫化に際し、書き下ろしのエッセイを収録。解説はモデル・女優の菊池亜希子さん。(裏表紙紹介)


 女性作家にハマるなんて向田邦子以来かも知れないが、その行間に表れる書き手の過去と読んでいる自分の過去がオーバーラップする感覚は、考えてみれば妙に似ている。

 読書って、結局は読私ってことなのか……。

 
 

付箋

 阪神電車に乗ってふと頭を上げると、前の席に座った女性が文庫本を読んでいる。それが『博士の愛した数式』だった。
 私は急に胸がどきどきして、どうしていいか分らなくなった。かつて経験したためしのない状況だった。とにかく電車の中なのだから、じっと座っている以外にないのだが、自分の書いた小説を目の前の人が読んでいる。しかもその人は私に気づいていない、という事態を受け入れるのに、しばらく時間がかかってしまった。
 ショートカットとジーンズがよく似合う、颯爽とした雰囲気の女性だった。私より少し若いだろうか。大きな布のバッグを膝に載せその上に文庫本を広げて一心にページに視線を落としていた。窓から差し込む柔らかい光が、その人の横顔を照らしていた。
 今、どの場面を読んでいるのだろう。博士が友愛数の美しさについて語っているあたりか、それとも、博士とルート君が野球場に行くところかもしれない。
 その本を書いたのは、私なんです。しかもその映画を観に行く途中なんです。と、声に出したい気持ちにもなった。しかし実際には、声は掛けられなかった。彼女は今、小説の世界にいて、博士やルート君たちと一緒の時間を過ごしている。それを書いた人がどんな人間かなど、どうでもいいことなのだ。そう思い直して、ずっと黙っていた。
 やがて特急電車は三宮の手前、御影の駅に到着した。その人ははっとして現実に舞い戻り、文庫本を閉じ。急ぎ足で電車を降りていった。その後ろ姿を私はいつまでも見送っていた。
P38-L5



 小説を書いていて、これほどのご褒美があるだろうか。
P37-L10



 それに引き換え小説家の私は、道の真ん中に立ち、自分の書いた本を掲げ、見ず知らずの人々に向かって、
「ここに小川洋子がいます」
 と、叫んでいるようなものだ。
P46-L6




 自分の頭の中だけで作り上げた、現実を超越した小説だ、と自惚れているのは作家だけで、実際の世界では常に、作家など思いも及ばない物語的な出来事が起こっている。
P50-L1





 ウォルフガング湖の記憶の中で、私と祖母とガイドさんは仲間なのだ、と思った。
P52-L14



 人と人が出会うに相応しい手順
P53-L3
posted at 2012/09/21 02:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍批評
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