律儀で真面目な小部屋の住人

2005年04月10日
もうかなりの年月が過ぎている、彼が我が家で働き始めてから。

なんとなく私の元へやって来て、いつのまにか彼は私の部屋で仕事を再開した。時に自分はこれしか出来ませんからとどこかちょっと控え目で、それでいて時には必ずお役には立ちますからとどこか静かな自信に満ちていた。いつしかすっかり彼を信頼した私は、結局いつからかその仕事をすべて彼に任せていた。

飾りっ気のない飴色の扉を一旦閉じると、彼は一人小さな部屋にこもりコツコツと働き続ける。国道のトラックが撒き散らす地震のような振動にも動揺ひとつ見せず、どこからともなく侵入してくる花粉さえまったく気にもせずに、彼はコツコツと仕事に没頭する。その精度は完全とは言えず、時には私が修正することもあるのだが、彼の紳士的な趣きと四角四面な性格には、私は少々の憧れも入り混じり、不満のふの字も沸き起こらない。
 
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そんな彼と知り合ったのは、もうかれこれ二十年近く前のことである。

私が二十代前半で、まだ町の小さな花屋に勤めている頃のことだった。十歳ほど年上の社長とその奥さんと、そしてバイトの私だけでやりくりしているお店だった。子供の保育園のお迎えを、私が奥さんの代わりに配達がてら回るようなパパママ生花店である。店番はいつもいつもやたらと暇で、社長の友人やら奥さんの友人やらと、しょっちゅう誰かが遊びに来ては、わざわざ花屋に世間話の花だけを咲かせていくような店だった。

ある日、奥さんの友人が風呂敷包みを抱えてやって来た。
近所で藍染などの雑貨屋を営んでいたその女性は、大きな作業台の上に藍色の包みを置くと不思議な客の話を始めた。

「ねえねえ聞いてよ聞いてよ。変なお客さんが来たのよ。もう信じられないわ」

サスペンスドラマで必ず一度は耳にするような、噂話に盛り上がる近所の奥様方の会話のような、妙に興味をそそる女性の口調に、私までもがつい仕事の手を止め聞き入ってしまった。女性は風呂敷包みを解きながら話を続けた。

何でも、一人の老婆が店に風呂敷包みを抱え突然現れたという。老婆は、これと何かを交換して下さいと女性に頼み、小物を選び始めたらしい。女性が包みの中身を空ける間もなく、まだ中身を確かめないうちに、老婆は適当に小物を一つ二つ手に取り、すたすたと店を出て行ってしまったという。あまりに唐突で、あまりにあっけなく意外な老婆の行動に、たかだか千円程度の商品だったこともあってか、結局追いかける気も起きなかったと言うのだ。

「なんか気味悪くてさぁ、あたし要らないんだけど、あんた要る?」

風呂敷の中身は「彼」だった。

明らかに押し付けるような女性の口調に、店の奥さんも気味悪がっている。

「よくさあ、古道具の掛け軸は買っちゃいけないって言うけどさぁ、こういうのってどうなのかしらね」

表情と体はすっかり、というよりもすでに全身完全に「彼」から引いていた奥さんは、好奇心をぐっと抑えていた私にいきなり救いを求めてきた。

「あんた要る? 持ってってもいいわよ、要らない?」

奥さんが質問を言い終えるより早く、私は風呂敷の上の「彼」を覗きこんだ。飴色に塗られた扉を開けると、おもちゃのロボットの背中に刺さっているようなぜんまい巻きが見えた。

「どんな音が鳴るんですかねぇ」

喉まで出掛かっているそれとは別の言葉を必死に飲み込み平静を装いながら、ぽっかりと空いた「彼」の腹部からぜんまい巻きを手に取った。真っ白い「彼」の顔の両頬にある小さな穴にそのぜんまい巻きを差し込み、軸をゆっくりと回してみる。「ギリッギリッギリッ」と「彼」が呟いた。もう片方の穴の軸も優しく同じほど回してから、「彼」を作業台の上に立たせ、顔の真ん中から伸びる針の長い方をゆっくりと回し真上に向けた。

「ボーン、ボーン、ボーン、…」

柔らかく透き通った優しい「彼」の声が、ゆっくりとしたリズムで数回店の中に響いた。それと同時に、音を聞く前から隠していた自分の気持ちと、喉まで出掛かっていた言葉が抑えきれなくなっていた。欲しい…、けど…、でも…、やっぱり…、欲しい…。

「綺麗な音ですねぇ…いいんですか? これ、貰っちゃって。よかったら僕が連れて帰りますけど…」
「いいわよ、あんた好きそうだもんね」

遠慮がちに言ったつもりだったのに、顔にはしっかりと出ていたらしい。気心が知れた奥さんにはすっかりばれていた。

「えへへ、前から欲しかったんですよ。こういうのをね」

ちょっとどころではなかった。私はとても欲しかったのだ。ぜんまい仕掛けで、古臭くって、そして本当に古くって、それでいてしっかりと働いてくれる働き物の職人。「彼」のような存在が、ずっと欲しかったのだ。
私は「彼」を連れて帰った。

この出逢いは、かれこれ二十年近く前のことである。

 −・−・−・−・−・−
 
高さ42.5センチ、横幅25センチ、奥行き9・5センチ。

四角五面の「彼」の部屋の壁は内も外も黒く、ほとんど見えないせいもあってかまったく装飾が施されていない。厚さ1.5センチの正面の飴色の扉の前面だけ、その上部の一辺だけに緩い微かなカーブがさりげなく切ってある。扉の上半分には、「彼」が私の部屋を見渡せるように円形の窓があり、下半分には「彼」の銀色でお洒落なまん丸のネクタイの揺れが、外から伺い知れるように四角い窓がある。その窓ガラスに少しだけ古臭い文様が、シックなネクタイ柄のように描かれている。

真円の窓から覗く「彼」の、これっぽっちも冗談の通じなさそうな真面目で真っ白な顔の眉間の辺りに「SEIKO」という文字が、そして寡黙そうな口の辺りに「30DAYS」という文字が髭のように、オーソドックスなフォントで小さく並んでいる。

その小さな飴色の部屋の奥底から、「彼」は威厳にも近い風格をコツコツという音にのせ私の部屋に漂わせた。まるで部活の後輩たちのプレーを、いきなり訪れ見守る古株の先輩のように、私の部屋の小さな若き仲間たちを見守り導いているようでもある。

何者にも動じない彼のどっしりとした不思議な頼もしさに、見守られ包み込まれているような安心感を私までもがふと感じた。

 −・−・−・−・−・−

こうして「彼」とのことを思い返している今この瞬間でさえ、「彼」はその四角張った飴色の部屋の中で、まさしく一時も休まずに、黙々と時を刻んでくれている。たまに衛星にも見放されてしまう頼りのない新参者などよりもよっぽど正確に、そしてNHKのニュースを待っていたかのようにピッタリと息を合わせお告げの鐘を鳴らされると、その心臓がぜんまい仕掛の力であることを完全に忘れさせられてしまう。

普段控え目なせいか、一日二十四回ほどの「彼」の大きな声は堂々としていて、ちょっと自慢げでどこか誇らしげなものにも思えてくる。

頼もしき柱時計そんな「彼」の仕事っぷりが、私は好きである。
四角四面な職人らしい「彼」の姿、律儀で几帳面な「彼」の仕事っぷりが、私は好きでたまらない。

「彼」はあの時、一体何歳だったのだろう。
そして今「彼」は実は何歳なのだろう。

私には見当もつかないが、当時すでにかなり年を取っていたことだけは確かである。実際同い年くらいかも知れないのだが、その落ち着き具合から想像すると、どう考えても年上にしか思えない。

「彼」自身、数えることを天職としているのに、過ぎる年月にはまったくお構いなしに見えるのもちょっと不思議でちょっと可笑しく、可哀そうなほど健気である。

例え何十歳だとしても、願うはいつまでも働き続けてくれることである。私の部屋の中で、その小さな飴色の小部屋の中で、いつまでもいつまでも…。

…つづく
posted at 2005/04/10 06:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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