裸の王様と父親の教えの矛盾

2005年03月09日
チャンネルを回すと、どこの局でも絵本のお話ばかりである。

『新裸の王様…誕生秘話』やら、『新裸の王様…王国開拓史』やら、『新裸の王様…王国覇権争奪外伝』やら、『新裸の王様…王国憲法発布物語』やら。

巨大な臨海の王者に挑む一人の勇士を描いた『白鯨』も同時上映といったところで、実際こちらの物語の方が手に汗握る展開に放映時間も長いようだが、『新裸の王様』の大河ドラマのような粗筋もかなり興味深い。

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その新しい絵本の主人公と、その生い立ちの物語に登場する『家憲』という代物と、それを授けた型破りな父親の存在を考えると、子供の頃に父の書斎で盗み読んだある本の内容が蘇った。老いた家長の尊き教えの物語である。
 
  家長の臨終
 老人は、死期が訪れたことを知っていた。
臨終の彼を囲み、家族全員が病室に揃った。老人は、ベッドの上から愛しい子供や孫たちの顔をじっと眺める。ひとりひとりの顔を、丁寧に確かめるように、ゆっくりと視線をずらしながら、ひとりひとりを丁寧に数えるように。容赦ないお迎えも、しばらく待っていたかのように、最期のひと時を見守る。数え終えた老人が、口を開いた。

「全員…揃ってる…ようだが、…」
「うん、みな居るよ。」
「では…、一体、誰が店番しているのだ?」

うる覚えのユダヤジョーク集より
映太郎追想創作

あらためて考えてみれば、裸の王様の父親はユダヤ人のような人生哲学を持っていたように思えてくる。家憲の内容は、どこか他人に対する漠然とした不信感と財産に対する異様な執着心が感じられる。とはいえ、会ったこともない人の人生哲学など、結局は勝手な想像でしかない。

その勝手な想像をあえて続けてみると、もはや本当の主人公は父親なのではという気がしてならない。

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裸の王様の父親がまだ王様だった時代、父親自身も裸だったに違いない。愛する王子をしっかり育ててくれる家来の一人も見抜けない人だったのだから。いや、見抜けぬどころか、傍らには従順なイエスマンしかいなかったのだろう。そんな者たちの中に、愛する王子に鞭を振るう世話役など含まれていないはずである。裸の王様のお父様もまた、裸の王様だったのだ。家来の一人も信頼できぬ王様は、誰かに王子を託す代わりに、その言葉を家憲として残した。守るべき言葉として。

その家憲を『守る』べき『物』として守り、『守る』べき『教え』として守る者だけが、彼の跡を継ぐ資格ありとみなされたのだろう。従順な跡継ぎとして。

子供の頃に父の書斎で盗み読みしたユダヤジョーク集の、忘れられないもう一編の話がふと蘇る。

  木登り
 子供は大きな木の上で泣いていた。勢いだけで登り詰めたものの、降りようとして初めてその高さと恐怖を知った。運良く降りる術と勇気を持ち合わせた兄が、弟を木の上に残し助けを呼びに走る。駆けつけた父親は優しく励ました。

「さあ、飛び降りてごらん。大丈夫だよ、お父さんがしっかり受け止めてあげるから。さあ、勇気を出して。」

父の優しい励ましと、大きく広げられた両腕を見て安心したのか、さんざん迷いつつも子供は決心した。小さな勇気を振り絞り父親の腕を目指して飛び降りた。

「どしん」という鈍い音と共に、子供はなぜか地面に着地した。状況がつかめず、体中の痛みに泣き出した子供に、父親は言った。

「誰が何を言おうと、人の言うことを真に受けて信用してはならん。いいか、よく覚えとけっ。」

父親がそう言い放ち、背を向けて歩き出すと、子供の泣き声はいっそう大きくなった。

うる覚えのユダヤジョーク集より
映太郎追想創作

ユダヤジョークは、彼らの人生哲学でもあり、彼らの尊き次世代への教えとも取れる。

だが、よく考えるとそこに矛盾が存在している。木登りで身をもって学んだ息子は、父の教えを信じるのだろうか。

その教えに従えば、父の教えさえも信じるに値せず、「人は信じるに値するものだ」という逆の結論になるし、父の教えに逆らったところで、父の教えと逆さまの教えは、「人は信じるに値するものだ」という結論になる。

矛盾している。だが面白い事に、どっちにしろ結論はその教えを皮肉にも否定していることになる。

「人は信じるに値するものだ」

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「寒いですね」という言葉が伝えられている裸の王様にお話を一つ贈ろう。

  大切な箱の中身
 老人は最期の時を迎え、父の教えに初めて背きその大切な箱を開いた。その中身が一体何なのかを、とうとう知りたくなったのだ。

「この箱を一生大切にするがよい。だが決して開けてはならぬ。いいな、それを必ず守るのだ。生きている限り守るのだ。」

父の厳しい教えを、授かった遥か昔を思い出しながら、心の中の父の声で、なぞるように一度唱えた。そして箱を開けた。

数十年間大切に保管してきた「父の箱」には、一枚の紙切れが入っているだけだった。無造作に破いた小さな紙切に、殴り書きの文字が見えた。

「お前もやっと、今日から大人だ」

映太郎創作

 裸の王様よ
家憲などという代物を、君に与える必要性を感じたお父上は、君をまったく信用していないではないか。その矛盾に気づくのに、一体あと何年必要としているのか。

『家憲』という名の『父の教え』の箱を、父の『教えの箱』という単なる物として守り抜いてきたどこかの寒い部屋の裸の王様は、今になってもその箱をまだ開けていないのだろうか。

裸ゆえに、その寂しき部屋の寒さもひとしおだろう。
posted at 2005/03/09 09:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | 報道批評
この記事へのコメント
映太郎様

ごぶさたしております。

ユダヤジョーク、私はこどものときに聞き、
おぼろげながら覚えていて、
軽くトラウマになってるものもあります。
「木登り」なんてその最たるものです‥

なんだか、一人で生きていけ、と言われているようで
ショックだった思い出が‥

あと、教訓めいたことを言うのが
いつも父親というのは、こどもながらに不思議でした。
どんな家庭でも

「父親が王様」

ということなのでしょうか。もしそうなら、
現代っ子には、理解しがたいかもしれません。

余談ですが、森喜朗元首相が絵本作家になるらしいです。
作者がわかると、夢も希望もありませんね。
できれば、経験を生かして
ご自身が主人公の政治的絵本とか書いて欲しかったです。
もちろん題名は「実録 裸の王様」で。

参考URL
http://blogs.dion.ne.jp/wmask/archives/674924.html
Posted by 副編集長 at 2005年03月10日 01:40
>副編集長、こんにちわ!
お宅にもありましたか、
どんなお父上なのでしょうか。

私の忍び込んだ書斎の主は、ユダヤ人音楽家の研究をしておりました。ポール・サイモンの楽曲を聴いて一言、「典型的なユダヤ人の楽曲だな…」と言ったのが印象的でした。と言ってもまだ健在ですが。

昭和初期の父親像を描いた向田邦子のシナリオも結構好きです。そこでは、父親はいつも“王様”であり、まさしく家の主“主人”でした。その威厳が鬱陶しくあり頼もしくもあり、懐かしい姿でもあります。絶滅危惧種指定も遠くはないことでしょう。

森喜朗絵本作家志望の話は知りませんでした。ペンネームは何になるんでしょうか。知っておかないと本屋で買ってしまいそうでちょっと不安です。

初書き下ろしは、「オオカミ少年」なんてね…。
Posted by 映太郎 at 2005年03月12日 09:58
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