窓の雪 照らす幼子 晴舞台

2005年03月06日
平成十七年三月四日金曜日、学芸会と卒園式は雪だった。
普段はなんでもない保育園までの距離が、油断して履いた革靴と降ったばかりのフラッペのような雪との最悪の組み合わせのお陰で、果てしなく長い道のりに感じられた。タクシーを待つか、このまま雪の進軍を続けるかを迷いながら、とにかくは歩幅を狭め一歩一歩ゆっくりと歩くことにした。

「…(これじゃ八甲田山の百分の一にも満たない雪に、
 行き倒れになりそうだ。)」
 
半ば諦め気味のたった一人の雪中行軍の前に、ふとバスが止まった。私の戸惑いを察するかのように、バスはなぜかすぐには発車しなかった。

「…(ん…?、あっ…、
 バス停かぁ…、えぇと…、行き先は…。)」

そこはバス停だった。あまりの唐突な誘いに一瞬躊躇ったが、扉の前で傘をたたむと乗車口を開けてくれた。いつもまともに乗れたためしがなく、あてにしたことなど一度もないバスにすっかり助けられてしまった。

「…(そういえば、
『その人は、東急の人でした…。』
 そんなコピーがあった気がする。
 …ふむ、確かに東急バスだったな、ありがと。)」

デジカメは充電済みだし、ビデオカメラはおばあちゃんが持ってくるはず、少々心配なテープもコンビニで手に入れたし、靴を入れるビニール袋だって忘れちゃいない。…ふむ、忘れ物はなさそうだし万全。いざ保育園に到着してしまうと、すっかり気が楽になった。さっきまであれほど苦労した雪も、思い出の風景を純白に飾る小道具でしかなくなった。…などと安心しきっていると、他の親達が履くスリッパが目に入った。

「…(シマッタァ、考えもしなかった。)」

 −・−・−・−・−・−

それにしても、保育園の催し物に来るたびに毎回感じる。親達の並々ならぬ意気込みである。開門前から競って列に並び、小走りに会場入りして場所取りをするほどの気構えは私にない。デジカメもビデオカメラも持って行く自分に何の違いも無いのだが、不意に鏡に映る自分の姿が目に入った時のような、かすかなバツの悪さをいつも感じてしまう。自分が映る鏡があちこちに立っているようで、その姿に気合負けして毎回引いてしまう。とはいえ、ビデオカメラの林の隙間から、我が太陽を求めて枝を伸ばし、手がしびれるまで頭上にカメラを構え、モニター画面を見上げる時の気持ちは何ら変わらない。

『I wonna document everything ! 』
  by Doc in the movie 「Back to the future U」

一瞬一瞬の子供の姿と表情のすべてを、保存したいだけである。それが晴れ舞台だろうと何だろうと関係はない。ただ、毎日一日中二十四時間録画保存はしてられないから、一番記念になる日を選んでいるだけなのだ。

 −・−・−・−・−・−

かつて保育園の小冊子に文章を書いたことがある。我ながら何十年振りかの書き物だった。もしかすると高校辺りの論文以来かも知れない恥ずかしい文章である。

  ≪二歳半ばになる子供を見ていると…≫

 二歳半ばになる息子を見ていると、自分達がこの頃の事をどれだけ憶えているだろうかと、時々話すことがある。私は全然憶えていないが、妻は結構憶えていると云う。

 記憶には表面的な記憶と潜在的な記憶があると思う。五年後、十年後に、今過ごしている毎日の生活や保育園の事を本人に聞いても、きっとほとんど憶えていないだろう。それはあきらめではなく、きっと潜在的な記憶にはしっかり刻まれているだろうと期待している。

 一歳の誕生日を迎えたころ、寝る前にふとんの上でじゃれあっている時に、ふと涙がこみあげて来た。あふれる涙をぬぐいもせず、子供に「タカイタカイ」をしながら、私がいるのは「現在」ではなく、十年後、二十年後の子供の記憶の中にいるのかも知れないと思えてきたからだ。

 日々忙しく、つい惰性にまかせて毎日が過ぎてしまうが、ほんの些細な出来事や会話までもが、子供の記憶に積み重ねられていると思うと、毎日がとても大切に思えてきた。

 私たちは、日々子供の記憶の中を生きている。
映太郎  

今、その文章の主人公は、当時の倍の歳を迎えている。

 −・−・−・−・−・−

五歳になったこの文章の主人公は、雪の日の学芸会でも主人公だった。演目は「地獄のそうべい」だという。

主人公と聞いて緊張する親も親だが、お話の主人公は三人で演じられていた。実際どのビデオカメラのモニターを覗いても、一人の子供を延々とアップで映している。結局親にとっては自分の子供が主人公に決まっている。

ビデオカメラのモニターで演技する息子の姿に集中していると、ふと微妙な沈黙が続いた。緊張が走る。

「…(ん…、嫌な予感…。)」

周りの子供が誰かに台詞を教えている。と気づくや否や、我が主人公が台詞を吐き出した。

「…(やはりお前か…、
 おいおい台詞忘れんなよ。)」

将来の役者の夢は、五歳にして変更を余儀なくされることとなった。

「…(まぁいいよ、
 それでもパパの主人公には違いないから…)」
 
肝心の息子の舞台が終わり、外に出て一服した。当初の目的を果たし役目を終えたビデオテープがわずかな残量を誇示している。

「…(いつの日かその時の為に、
 君たちの記憶の背景でも撮っておくか…。)」

三十数年前、自分が通っていた幼稚園の映像はない。幼稚園は存在するもののその風景は変わっていることだろう。そもそもビデオなどという便利でやっかいな代物も存在しない時代である。手軽に映像を残しておける現代の子供がまことに羨ましく腹立たしい。まぁいつか見たくなる時もくるだろう。真っ白く彩られた滑り台やジャングルジムにミニプール、そんな遊び場の風景をビデオに収めた。

 −・−・−・−・−・−

テープの残量ばかりを気にしていると、その日の本当の主人公たちが、いつのまにか舞台に立っていた。屋根を真っ白に変えた保育園の一室、そこだけは晴れ渡っている。いや、そのはずである。というのも、会場に戻るきっかけを逃した私は、卒園式会場に入れなかった。数人の親が入り口から溢れている。自分の子供の出番なんてもうないだろうと、結局外で待つことにした。しんしんと降り続ける雪に吸収されてしまうのか、会場内の音声はほとんど聞こえない。ふと気になり入り口に近づいて様子を伺った。すると中から、それは恐ろしい歌が漏れ聞こえてきた。

たった今ここを卒園し小学校に入学する子供達、同じ日を翌年に控えまだちょっと意味もわからずになんとなく友を送る子供達、主人公一人一人の一年間をしっかり見届けた先生達、初めての卒業を見守る親達、そのそれぞれが“卒園式の歌”らしき歌詞で呼びかけ応え合う歌だった。

「あのね♪」(卒園する子供たち)
「なーに♪」(親や先生方)
「おかあ〜さん♪ありがとう〜♪」

歌詞はほとんど覚えていない。そんな恐ろしい歌詞を聴く自信などなかった。

来年か再来年か、やがてこの日を迎える親達までもが、その日を想像し模擬体験しながら見守っている。皆が貰い泣きする姿が想像できた。涙腺が虚弱な私はその場すぐに離れた。

「…(ほんと、
 中に居なくてよかった…。)」

来年本当の主人公となる我が息子の母親とおばあちゃんが出てきた。みなと同様ハンカチを手にしている。それ見たことか。

「他人の卒園式で泣いてるようじゃ、
 来年大丈夫なのかねぇ。どうなっちゃうんだか…。」

他人の晴れ舞台にもらい泣きした人を、何気ない顔で笑いながら馬鹿にしている自分自身が一番危ないことは十分自覚している。そんな席であんな歌を歌われたらと思うと、恐ろしくて登園拒否したくなるではないか。すでに今から憂鬱になりかけている。

来年、この恐ろしい日をなんとかやり過ごしたとしても、ひと月もしないうちに入学式を迎えることになる。そのひと月は、憎たらしい花粉症がきっとありがたく感じることだろう。

 −・−・−・−・−・−

追伸
…初めての卒業式を迎えた君たちへ

今年、晴れ舞台を迎えた名も知らぬ我が子の一年先輩の友達へ、その場に居合わせていながら君らの姿を見守れなかった私は、雪の卒園式を忘れぬような一句を贈ることにするよ。

 窓の雪
  照らす幼子
   晴舞台
        映太郎 

小さき卒業生たちよ!
 初めての卒業式 おめでとう!
posted at 2005/03/06 06:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 備忘雑録
この記事へのコメント
・・・ということは今年年長さんなんですね。
ビデオ撮影ご苦労様。どこのおとーさんも大概
この役を振らされて、肉眼で直接目に焼き付けることはできないようで。
と、いいながら編集にも凝るんでしょ?(笑)

そういえば、上の子の卒園式に3歳の妹が出席して
私のとなりでウソみたいにおとなしく事の成り行きを
みていたんですが私があんまりにも涙ぽろぽろなんでパニックになって
「ママ、ママ、どうしたの、どうしたの」って
ハンカチで顔をぐしゃぐしゃと拭いてくれて・・。
ありがたいことにメイクがぐちゃぐちゃになって
退席せざるをえませんでした。
でも通り過ぎればそれもまたいい思い出ですよ。
Posted by Ageha at 2005年04月01日 00:45
Agehaさん、こんばんわ!
もしやイエローカードを出されたとか…なわけないか。たぶん周囲も大して変わらない状況だったんではないでしょうか。

化粧の不安はありませんが、私もぐちゃぐちゃになることと思います。

通り過ぎたそのお子さんにとって、まさしくその瞬間が、将来の感情の源となっていく情感のある一つが植えつけられた瞬間であったのではと思います。

人の感情って、結局はそういった経験の積み重なったその人なりの形だと思ってますから。
Posted by 映太郎 at 2005年04月01日 01:40
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