キリストのクローン新生(上)―ジェイムズ・ボーセニュー著

2011年07月24日
 2011年7月24日、こんな本を読んだ。

キリストのクローン 新生(上)―ジェイムズ・ボーセニュー著/田辺千幸訳/東京創元社―創元推理文庫
 
  キリストのクローン 新生(上)
 
 ジェイムズ・ボーセニュー著
 田辺千幸訳
 東京創元社/創元推理文庫
 
 キリストの遺骸を包んだトリノの聖骸布から、アメリカ人科学者調査団の教授が密かに採取した人間の真皮細胞は生きていた。教授は救世主のクローンを誕生させる。クリストファーと名づけられた彼は長じて不思議な能力を発言させた。一方、イスラエルではテロが激化していた。現代にキリストが現れるとしたらどのようであるのか、この世界はどうなるのかを考察する三部作の開幕。(裏表紙紹介)



 どうしてこの本を手に取ったのか、まったく覚えていないのだけれど、主人公のその言葉を借りるならこんなとこなのだろう。

 “然るべき時に然るべき本を……”
 
 いや、思い出した。
 最初にこのシリーズの“圧巻の第二部”を買ってしまい、読むに読めず、慌てて“気になる第一部”を探してみたら、どこの本屋にも置いておらず、何日か探し求めた挙句の果てにやっとこさ手に入れたのだった。

 で、“圧巻の第二部”を一体どうして手にしたのかが思い出せない。



 ところで、このシリーズにはこれでもかというほど次から次へと災厄が登場するのだが、その中の一つの“大惨事”と呼ばれるある惨事の起きた後に、新聞社に勤める主人公の同僚が記した社説の文章が印象深かった。

 “大惨事”とは、ある夜世界中の人々を襲う突然死のこと。作品中では結局直接的な原因は不明のままとして描かれているのだが、主人公はその“大惨事”により最愛の妻と二人の娘を一夜にして失うこととなる。



 大きな悲劇が起きたあとは必ず、これを乗り越えた人間は以前とおなじではないと誰かが言い出すときが来る。この発言は精神を浄化させるためのものなのかもしれない。いまこそ動きはじめるときであり、日々の生活に戻るときだとわたしたち全員に思わせるためのものなのかもしれない。決して簡単ではないが、わたしたちは再び歩き出さなければならない。

 中略……。

 数年後には。《大惨事》を生き延びた者のなかで、これが最後の日になるかもしれないと思うことなく、新たな一日を迎えられる人間がいるだろうか? 遊んでいる子供たちや、咲き誇る花や、語らい合う友のかたわらを歩きながら、いまもまだそういったものをながめることのできる我が身の幸運に感謝しない者がいるだろうか?

 今度こそ、忘れないでいられるのかもしれない。今回の悲劇は、消えることのない痕跡をわたしたちの心に残したのかもしれない。時の流れだけがその答えを知っている。いま言えるのは、わたしたちのだれひとりとして以前と同じではないということだけだ。


「キリストのクローン 新生(上)」(ジェイムズ・ボーセニュー著/田辺千幸訳/東京創元社/創元推理文庫)より
 
 文庫本三頁半の文章をまるごと紹介するわけにはいかないのでほどほどに割愛したが、その惨事をあえて“大惨事”と称し、どんな惨事か、いやどの惨事かも特定できぬように描いているこの文章が、一体誰に読ませようとしているのかがふと気になった。

 今や、放射能の影響を被らない日本人はどこにもいない。それを思うと、最後の一節が小説の中の社説とは思えないほど読む者に突き刺さってくる表現となっている。

 ――いま言えるのは、わたしたちのだれひとりとして以前と同じではないということだけだ。――


映太郎
 
201107240341
posted at 2011/07/24 03:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍批評
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