実際クリスマスじゃないけれど

2006年07月15日
 It's not "ACTUALLY" X'mas
 but I say it now.

"Merry merry X'mas!"

LOVE ACTUALLYLove Actually
〜ラブ・アクチュアリー〜

物語はクリスマスの5週間前に始まる。

 “実際の処”、クリスマスの一週間前にだって“よいクリスマスを!”という意味で言うのだし、たまには半年も前に言ったってよいではないか。だから私は言ってみる。

 メリークリスマス!
 
 でもまぁ“実際の処”、そりゃクリスマスウィークでもなければあちこちでコソコソとクリスマス商戦が始まる11月にもなっていないのだけれど、“実際の処”こんな映画をクリスマスムードたけなわの12月には観たかねぇし、一年で一番遠い今頃が最も気楽に観られる時期かも知れないな。



 でもって“実際の処”この映画、かなりオムニバス的に色々なタイプの小主人公を並べ様々なタイプの愛の形を描き並べている。

 それぞれの小さな主役たちに、それぞれの鑑賞者が巧い具合に感情移入できるように作られているのが結構ニクイ。

 若干欲張り過ぎにも思えてくるが、それが程よく平行して進行していき、エンディングに向かうに連れて微妙に重なり始め、やがては無理な辻褄あわせもさほど感じさせずに繋がっていくのは感心である。

 すべての主役がそれぞれ一生懸命に“愛”を見詰める。

 或る主役は“愛”を不意に失い、或る主役は“愛”をひたすら求め、或る主役は“愛”の意味を誤解し、或る主役は控え目に“愛”を育む。

 その主役たちには何の悪意もなく、悪役は存在しない。

 観終えた鑑賞者が必ずや幸せな気持ちになるべく描かれている製作姿勢は、“鑑賞者への思いやり不在”の映画「ディア・ハンター」を作った製作者に知って欲しいものである。



 処で“実際の処”、こんな映画にも実は悪役がふと描かれていたのが面白かった。

 この映画の唯一の悪役はアメリカ大統領であろう。

 終始慇懃無礼な笑顔で他を威圧し、自分の都合でしか物を考えない大統領の態度は、ヒュー・グラント演ずる英国首相にまでも「いじめっこの友達はもういらない!」と言わせてしまう。

 映画の冒頭に流れるヒュー・グラントのナレーションにしても、「これより様々な“愛”をお見せ致します。」等といった意味のことを言うのだけれど、そこに何気なく9.11の話題が出てくる辺りからも考えると、今世界が混乱しているのも結局はたった一人の慇懃無礼ないじめっこのせいだと言っているとしか思えなくなってくる。

 そう言えば先日観た映画「25時」だったかでも、9.11の事実が実に巧みに差し込まれていた。あの時あの瞬間を過ぎて以降、映画制作者たちはみなあの事実に触れずにはいられないのかも知れない。

 これほど愛に満ちて愛だけを描いた映画でさえ、まるで善哉の塩のごとく憎しみの象徴がさりげなく挟まれているのは、まったく皮肉なものである。



 ところで“実際の処”、どうしてまたこんな映画が突然観たくなったのかって? さぁねぇ…、それが判れば苦労はない。

 まぁきっと、ふと何かが判ると思えたからこそ、わざわざ渋谷ツタヤでこんな映画を買ってしまったのだ。

 で、“実際の処”、一体何が判るかって? そりゃ映画のタイトル観りゃ歴然であろう。

 It's "LOVE ACTUALLY".
 「それは、実際に愛です。」

 まともに役に立った試しがないけれど、“ヤフー翻訳”に丁寧に訳して貰らうとそうなった。

 ふむ、ならばエンディングに延々と流れる歌の歌詞は一体どういう意味なのだろう。

God only knows what I'd be without you♪
「神は、私があなたなしで何であるかについてわかっているだけです♪」

 まったく…、ヤフー翻訳って肝心な時には何の役にも立たない。
posted at 2006/07/15 18:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映像批評
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