ペットの名を間違えて振り返る

2006年05月29日
 長年のパートナーの名前を間違えるというのも、誠に失礼な話であろう。ちなみに私が名を間違えたパートナーはサスケ。このブログの福管理人でもある彼は、私の元を訪れてからすでに15年ほど経っている。

 15年も付き合った大切なパートナーの名前を間違えるなんて…、失礼な飼い主だよな。

 しかし、ふと間違えて口から出た名前は、かつて飼っていた愛犬アメリカンコッカースパニエルの名前だった。私が中学の頃に実家を訪れたそのパートナーの名前はジェニー。 

 目の前で、名を間違えた私を恨みもせずにじっと見つめるサスケの顔を見ながらふと想った。

「そうか…、もしやお前なのかい?
 お前だったのかい?…、ん? …。」
 
 何を言っても、何を尋ねてもサスケは答えてくれない。

「ソウルマスターにきつく口止めされてるのかい?」
 


 このカテゴリーの初期の記事にも書いたが、サスケは或る日突然私の元へとやってきた。

 いきなり玄関前に現れ、アパートの薄汚れた扉の前で、「私を飼ってください!」と言わんばかりにヒャーヒャーとで啼き続ける姿は、それはみすぼらしいものだった。元々犬猫が好きだった私が根負けして部屋に入れるまで、ものの5分と掛からなかった。

 今にして想えば、サスケは私を探し出して来るべくして来てくれたようにも想えてくる。

「君は私の元で、私に世話ややっかいを掛ける為、私の元にただ居る為にやって来てくれたようだな。」

 30年も前に私の元に来てくれたかつての愛犬と名前を間違えたのも、或る意味当然のように想えてくる。もしかしたら、その中に、その小さな小さなハートの中に潜むのは…。

「君なんだね。」

 でも待てよ…。ふと中学の頃始めて我が家を訪れた時の愛犬ジェニーを想い起こすと、ではその時も同じ状況だったのではとまた別の巡り合わせが浮かんできた。

「おいおい、一体君は誰なんだい?」



 小学校に入るちょっと前、私にとって初めてのペットが我が家に居た。一羽の雀である。名をチュンタンといった。

 昭和10年頃の建物だった実家は、よく初夏になると雀が屋根裏に落ちた。気付かずに見殺しにしてしまった雀も一羽や二羽ではなかったかも知れないが、たしか5,6歳の頃に初めて母が屋根裏から一羽を助け出し、彼か彼女か、その雀が実家での初めてのペットとなった。

 まぁ実は、その雀、彼の話をする時、実は一番話したくないのは彼との別れのきっかけである。

 家族全員が集まる居間で、夜の憩いの時はいつも彼が中心だったのに、ある夜、私は彼を踏んでしまった。

 手の中で徐々に動きがなくなりやがて冷たくなっていく彼は、「ゴメンネ、ゴメンネ…。」と何度も謝る私に、恨みがましい顔も見せず静かに息を引き取った。

 その晩だか翌日だか覚えていないが、私は庭に作った小さなお墓の前でも謝っていた。

「ゴメンネ…」

 その次の年から、我が家では雀が毎年落ちるようになったのだ。毎年毎年、初夏になると私のベッドの上の屋根裏で「チチッ、チチッ」と雀の雛が助けを求める。

 眠い目を擦りながら、或る時はすすだらけの屋根裏にもぐりこみ、また或る時はドリルで天井に穴を開けて助け出した。

 毎年毎年、これでもかこれでもかと訪れる雀の雛。どこか例年の恒例行事のように、私が小学校を卒業する頃まで続いた。

 そうか…、たしかあの例年の雀の訪れが止まったのは中学に入った頃のことだったな。あれは確か我が家に愛犬が来た頃ではないか…。

 姿を変えて訪れていたんだね、君は…。



 実は雀をペットとして飼ったのは、最初の一羽だけだった。

 次の年からは、なるべく親に餌を持ってこさせ、触りたいのをじっと堪えて見守るのみになった。

 飛べるようになるまで見守り、やがては親が来た時に紐でそっと籠の扉を開け、親と共に我が家の鳥かごを巣立つのをよく見守ったものだ。

 裏庭の小枝で、いつまでも声を聞かせてくれた親子の雀は、どこかお礼を言っているように思えたものだった。

「きっと来年も、また再来年も、お世話になりますよ…」と。

 お礼代わりにまたお世話になります。またお世話になって、またやっかいを掛けて、また別れの悲しみを与えるけれど、それでもまた訪れます。それが私たちのお礼です。

 雀の親子のお礼は、それはそれはやっかいで面倒でありがたいものだった気がする。

 また世話させてくれるんだね…。またやっかい掛けてくれるんだね…。また…、別れの悲しみを味わう為に、私の元を訪れてくれるんだね。いいよ。いくらでもおいで。何度でも何度でも…。



 記事を書いていると、傍らで寝ていたサスケが一声甘えた。

「ヒャ〜!」

 相変わらず舌っ足らずなネコだなぁ、お前は。

「で、お前は一体誰なんだい?」

 尋ねても答えてくれない。

「きっと君なんだろ? ん? あの時の君なんだろ! 君はいつから私の元に居るんだい?」
posted at 2006/05/29 23:46 | Comment(5) | TrackBack(0) | 吾輩非猫
この記事へのコメント
映太郎さん、こんばんは。

サスケさんは自分の意思で映太郎さんのところへ来たのですね。
そしていつも傍にいるのですね。

「輪廻転生」って本当にあるのかしら?
もしそれだとしたら、サスケさんは何も憶えてないのよね。
答えたくとも、答えられない?・・・たとえ言葉が話せても。

私はいったい誰(何)だったんだろう。
もちろん何も憶えていない。
Posted by Risu at 2006年05月30日 19:07
>Risuさん、オヒサです!
実は覚えているという話もあるんですよね。

誰か、それほど親しくもないのになぜだかふと親しみを感じる人など、長い人生の中では沢山出会うものでしょう。

そんな人が居たら、その人の瞳をじっと見詰めてみるんです。するとその瞳の周りには見覚えのある顔が浮かんでくる…。

いつかどこかで…。

いつの世か、どこの世界か、そしていつの生だったかすら覚えていなくとも、その顔には確かに見覚えがある…なんてことがあるのです。

瞳の周りに顔が浮かぶか、瞳の中に顔が浮かぶか、私はまだ経験がありませんが、そんな話を耳にしたことがあります。

覚えていないわけではなくて、決して忘れず、でも思い出せない、もしくは思い出させて貰えないだけなのでしょうか。

そんな出会いには、人も動物も関係ないのだと思います。
Posted by 映太郎 at 2006年05月30日 22:09
追記…Risuさんへ

言葉が話せない動物はきっと覚えているし、伝えたくて仕方がないのだと思います。ただ、伝える術を与えられていないだけだと想うのですが…。
Posted by 映太郎 at 2006年05月30日 22:12
映太郎さんまたしても、こんばんは。
実は・・・
小学校低学年の頃に、水の無い側溝に落ちていた赤ちゃん雀を拾って飼っていたことがありました。
まだ羽はほとんど無く小鳥と言うにはあまりにもグロテスクな容姿でしたが。
素焼きの植木鉢に綿花しいて、餌はふやかしたご飯粒しかあげられなかったのに、きっちりと小雀に育ってくれました。
私のことを親だと思ったのか家の中で“ちょこちょこ”後ろをついて回ってとても可愛かったのに。
ある日、何気なくやってしまいました。
うちの家の部屋と部屋の仕切りは引き戸でした。
つい、後ろを確認しないで閉めてしまったのです。
その後のことはとても書けません・・・。
ごめんね、ごめんね、(激泣)
Posted by Risu at 2006年05月31日 22:35
Risuさん

あなたがふと思い出してくれた事を、きっと喜んでいるはず。

いや喜ぶどころか、もしや別の姿で近くに居るのかも知れないけれど。

気付かぬあなたを、もしやどこかで笑っているかも知れないし。

私の記事がきっかけになったのなら、例えあなたがいくら号泣したとしても、私は嬉しい。

そんな…、そんな同様の体験を胸の奥に忍ばせていたあなたが、私のブログをふと訪れるようになったのも、或る意味小さな小さなとても小さなシンクロニシティなのかも知れない。
Posted by 映太郎 at 2006年06月01日 06:15
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