“セラーズの愛し方”の愛し方

2006年05月27日
 いや、その、まぁ…、ここは正直に。

「そりゃ観たいからレンタルして来たわけだし、自分がこれこそはと思って借りてきたDVDを、最後まで観ないで投げ出すなんてこと、私ゃ絶対にしませんよ!」

ピーター・セラーズの愛し方〜ライフ・イズ・コメディ !ピーター・セラーズの愛し方
〜ライフ・イズ・コメディ !〜
出演 ジェフリー・ラッシュ
   シャーリーズ・セロン

 でも、その、まぁ…、ここは正直に。

「ごめんねピーター、
 私ゃ最後まで観ていられないよ…。
 あまりに身につまされちまってさ・・・・・。」
 
 この映画、私は最後まで観ていられずに結局途中で止めてしまった。レンタル期間はあと6日。私はこの映画を、自己嫌悪と戦いながら最後まで観られるのだろうか。



 以前にも記事に書いたが、日本語の「の」の使い方は実に微妙で、放送作家やコピーライター、そして映画の広報マンはその微妙で曖昧な表現をあえて楽しむかのようによく使うらしい。

 “ピーター・セラーズの愛し方”のタイトルの「の」に関しても、長年彼を愛してきた私にとってはちょっとだけ同様の曖昧さを感じた。だからこそ「の」は目的格を表す助詞にも見えるのだけれど、映画はやはり順当な意味で進行していった。

 彼が誰かを愛するその“愛し方”は、それは異常なほど気まぐれで、情熱的と誤解されがちに一途で、人に非ずと称されるほど愛すべき過去たちを見向きもせず、次から次へと新たな恋へ移り気を繰り返す。

 妻に別れを切り出した際の彼の態度は、“正直のどこが悪い”と開き直っていることの自覚もないようなほど我儘で、まったく同じ事をした私は自己嫌悪の渦に巻き込まれて固まってしまった。

 我儘を我儘とも自覚せず、かつその無自覚をも半ば開き直って誰かに押し付ける。“正直に生きる”ことこそ何よりも大切などと考えてまた開き直り、そしてそういう時に限って、正直な態度で相手を傷つける。

 例え誰かを傷つけたとしても、自分に正直であれば仕方ないなどと甘え、どこかそれが信念とまで考えている。

 正直にいることは大切である。しかし、正直に想いその想いを正直に表すことって、“人の間で生きる人間”にとって本当に大切な事なのだろうか。

 嘘も方便なんていうけれど、要領の悪い人間はその二つの言葉の使い分けがまったく下手で嫌になる。

(2006年5月22日、ここで記事を一旦放置)
(2006年5月27日、ここから再び記事加筆)


 …なんてことをのんびり書いた記事を書きかけで放ったらかしにしていたら、すでにレンタル期限が明日に迫っていた。

 何もシーサーが期限を設けているわけではないのだけれど、なぜか返さなければならないDVDを今度は放ったらかしにしつつ、自己嫌悪を楽しみながら自虐的な記事を書いている。

 書きかけの記事は放ったらかしにしていたものの、映画は結局毎日のように見直していた。実際この映画のすべてを何度も観たのだけれど、どこか自分自身を観ているようで、何度観ても自己嫌悪の渦は消えない。それでもどこか自虐的に何度も観ている自分は、鏡を何度も見るナルシストと同じなのかも知れない。

 前言一部削除―「どこか自分自身を観ているようで…」なんて嘘である。映画の中のピーターは自分と何ら変わらない。

 自分は一体何なのか。自分は一体どんな人間なのか。自分は一体人と何がどう違うのか。

 毎日のように鏡を眺め、毎日のように過去のログを振り返り、結局毎日自分のことだけを考えてばかりの自分というもの、最も我儘で最も自分勝手で最も弱気なナルシストなのかも知れないな。

 桑田佳祐に似ているからと、最近会社では“佳祐ちゃん”などと呼ばれている。けれど、どう考えても“ナルちゃん”である。

 外見はまったくナルシストでもなんでもないけれど、内面を知っている自分にとって私はやはり“ナルちゃん”である。

 自分には常に人より何かが足りず、いつも少し上に羨望を感じながら自分の何かを常に変えようとしている姿は、ある意味向上心ある弱気なナルシストなのだろう。

「で、ナルシストってどういう意味だっけ?」

 ちなみに今日、“二人目のミセス狩馬”である現在の妻は私をピーターと呼んだ。



 さて、相変わらず映像批評記事でありながら肝心な映像の批評は何も書かずに終わってしまったようである。

 まぁ単なる“映像批評記事”や“映像お褒め記事”なんて、そこらのブログにいくらでもあるのだし、そんなモン書いてもそこらのブログや映画の宣伝文句と何ら変わりなくなってしまうだけだから、結局南極そんな記事を書くつもりはそもそも無いのだ。あしからず。

 とはいえ、この映画の映像批評を期待してこの記事を読んだ人に、ちょっとだけ謝ることとするか。

「スイマセンねぇ、無駄な時間を私の自己嫌悪の吐露に付き合わせてしまって。」

 まぁ一言付け加えるならば、女性問題で苦労しながら、そんな自分を少々省みているような結構なお年の男性には是非一度観て貰いたい映画ってとこだろうか。

 さらに一言、女性問題で一度でも問題があった夫婦は決して一緒に観ないように。それだけはお勧めしておこう。

 どちらかがフリーズすることは間違いない。
posted at 2006/05/27 22:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映像批評
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/18465452
※確認及び承認されたトラックバックのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。