殺人と動機における優先順位

2005年02月05日
悲惨な事件が発生した。その臨時のニューステロップが最初に画面に現れた時点で、まだその子は生きていた。

<殺人未遂>スーパーで男児ら刺し、男逃走
4日午前10時40分ごろ、愛知県安城市住吉町3のショッピングセンター「イトーヨーカドー安城店」2階の子供服売り場などのあるフロアで若い男が近くにいた子供数人や大人に突然殴るなど暴行を加えた。うち1歳の男児が頭部を包丁のような刃物で刺されて意識不明の重体。(Yahoo/毎日新聞/02/04/12:21)

半ば意図的なのか言葉少なに伝えるテロップや各局の報道が、たった11ヶ月の被害者の無残な姿を余計に想像させる。テロップはその後も刻々と事件の詳細を伝え、やがて殺人未遂が殺人に変わったことを知らせた。被害者の結末を知り、やるせない気分に半日落ち込んだ。各局の報道はその事件を様々な形容表現で伝えるが、ふと疑問が湧いてきた。

そもそも、“悲惨ではない”とか“普通の”とか“ありきたりの”などという殺人事件なんて、一体どこにあるのだ。
 
 −・−・−・−・−・−

ところで、こういった事件では必ず容疑者の“責任能力”が問題とされる。通院歴があるとか無いとか…、どこからともなく声が聞こえたとか…、薬を使用していたとか…、意味不明なことを言っているとか…、等々など…。“殺人事件”という言葉に、普段は見ない形容表現が多ければ多いほど、その能力の有無がまず問われる。

だが、ふと考えてしまった。

“人が人を殺してしまうという異常な状態”に陥った瞬間、精神的に“完全な健全状態”の人間は存在するのだろうか。多くの犯罪には、その瞬間“価値観優先順位の矛盾”という状態が存在するものだ。

それっぽっちのことで
 どうしてそんなことを…?

数百円の万引きの発覚を恐れ人を殺してしまったり、数千円の窃盗の容疑を恐れ放火したり。幾つかの選択肢の先に予想される結果の大きな違いを冷静に判断できなくなった時、人は誤った選択肢に進んでしまう。

誤解を招きそうなので、言葉使いには十分注意しながら記事を書いているが、何も殺人者を擁護するために精神医学や心理学の不完全さ問題にしているわけではない。

ただ、その活動が異常な状態に陥った時の脳内生理の科学的な分析が、今よりもっと進むかも知れない将来、すべての犯罪を犯した人間のその瞬間の脳内の状態変化まで解明されるとしたら、あらゆる犯罪にその解明された分析結果が適用され、そのすべての犯罪の容疑者に犯行時の責任能力欠如が定義されかねないだろう。

そんな新たな定義の上では、万引きと殺人などという明らかに大きく違う二つの事件においても、報道機関が騒ぐほどの大きな差は医学的には認められず、同類の事例として分類されるかも知れない。

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かつて普通の殺人者として裁かれていた殺人者が、現在その一部の人々は責任能力欠如の病人として扱われている。その動きの方向性が変わらなければ、先に繰り広げた突飛な未来の犯罪心理学もまったく在り得ないとは言えない。

精神医学が今よりもっと発達したそんな将来、今よりもっと殺人事件が減るのか、それともただ単に殺人罪に問われる犯罪者が減るだけなのかは、わからない。ただ、いつの時代になっても変わらないだろうと予想されるのは、政策という理由だけで一度に多くの殺人を繰り返す政治家だけだろう。

ここ数世紀で最も許されない殺人者として全世界で意見が一致している“アドルフ・ヒットラー”と、自分達の宗教の教えに従い大国に挑む“オサマ・ビン・ラディン”と、その指導者に対し自由という名の元に相手の教え“目には目を”に従って正戦を続ける“ジョージ・W・ブッシュ”と、今日11ヶ月の幼い命を奪った名も無き殺人者。

被害者の数は様々だとしても、この四人の殺人者と殺人という行為に違いはあるのだろうか。そこに病的な犯行も正しい行いもないはずである。

優先順位の端に列記されるだろうヒットラーを“理解されずに人生を終えた一人の不遇の政治家”として再評価するか、それともその反対側に列記される現在のホワイトハウスの住人を“心の病と闘いながら政治家を続ける可愛そうな一人の病人”として受け止めるか…。

人はそんな究極の選択を冷静に判断できなくなりつつある。その行為を黙認する人々にも、冷静な判断力の欠如という恥ずかしくも有難い状況が適用されるとしたら、ヒットラーとブッシュに明らかな違いを見出す事ができる人など今の世界のどこにもいない。

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「リップスティック」という映画がある。
レイプされた女性がその過去に苦しむ中、同じ犯人に妹までも襲われそうになった時、自ら銃を取り復讐するというストーリーである。

まだ中学生くらいの頃この映画を家で観ていた時のこと。一緒に観ていた母は映画が終わった後の余韻の中でなにげなくポツリと言った。

「人の犯罪には、その罪が時代や政治背景によって問われたり問われなかったりすることあるけど、いつの時代のどんな政策のどんな政権やお国柄だろうと、必ず罪になる犯罪があるものよ…。」

それは、男臭くなりつつある息子に向けた母の最低限の戒めだった気がする。そんな戒めに殺人は含まれていなかった。それはそんな戒めにも論外な事だったからだろう。

大脳内の生理的反応が正常である限り、
私はその母の教えに従っているつもりである。
posted at 2005/02/05 01:16 | Comment(0) | TrackBack(3) | 報道批評
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