…が気になるのだ、がが…

2005年01月29日
秋葉原には大きなお店がよく見かける。そんなお店には色々なソフトが陳列しているものだ。映画や音楽のDVDソフトが色々と売っているし、中古DVDの値段が値引きしている店もある。たまに私の大好きな映画「ピンポン」のDVDが陳列しているが、でもその値段が値引きしているのを見た事がない。映画「ピンポン」が何度も見たことあるが、アクマと彼女のシーンが今も忘れない。卓球が辞めたアクマと彼女が、試合会場の外で会話がするシーンである。

ピンポン ― 2枚組DTS特別版 (初回生産限定版) ピンポン
(2002/アスミック・エース)
監督 曽利文彦
   窪塚洋介…ペコ
   ARATAアラタ…スマイル
   サム・リー…チャイナ
   中村獅童…ドラゴン
   大倉孝二…アクマ

「向こうで水泳  やってるって〜!」

、…違和感なければ読まない方いいのだ
 
が…が…ががががががが、…。

がぁ〜っ、

 違うだろうがぁ…!」


私にはこのスタイル、ちょっと無理ありそうだ

最近こののスタイル、かなり浸透している。

 −・−・−・−・−・− 

映画の台詞は意図的なものである。しかし、さすがにNHKのアナウンサーが街頭ロケで平然と使っていた時には驚いた。NHKのアナウンサーが…である。

「えぇ、今私はホニャララ市場ですが、色々な商品売っています。」

おいおい、商品が何を売ってるんだぃ。店員でも売っているのかぃ。

まぁ、いい間違いは誰にでもあるさ。だから一度や二度では驚かない…と、必死に抑えて構えていた。一部のタレントレポーターなら二度とは言わず二十回くらいまでなら許してあげよう。だが、NHKの正アナウンサーが間違っているのには驚いた。

驚き、呆れ、怒りさえ覚えるのは、間違えたアナウンサー個人にではない。その言葉たちが、いつの間にかしっかり浸透していたことに慌てているのだ。

 −・−・−・−・−・− 

考えてみれば、自分達が若い頃も言葉使いはよく注意されてきた。今にして思えば、あの時自分達の言葉使いに色々と耳やら口やらの痛いことを告げていた人々の世代になったということかも知れない。

電車の中での兄の話を思い出す。
井の頭線をイノズ線と言って友人とふざけていたら、隣りに座ったお婆ちゃんが真剣に注意してきたらしい。
「イノズ線じゃなくて、イノカシラ線って読むんだよ。」
自分達だけの言葉ってのも楽しいが、いつのまにかあの頃のお婆ちゃんの方が近い世代になったということだろう。

実際に自分達が習ってきた“そう有るべき日本語”というモノすら、日々形を変えようとしているのをあらためて感じると、誰かが言った“言葉についての言葉”を思い出す。

“人の言葉というものも生きており、
  時代と共に姿を変えていくものだ”

 ・−・−・−・−・−・−

映画「ピンポン」の中の台詞は、監督のアイディアなのか彼女を演じた女優さんのアイディアなのかは知らない。だが、あのシーンが撮影されたあの頃の、あの年のあの瞬間の、あの年頃の若者が使う生きた言葉を微妙に表現しており、同時に世代の背景を巧く表現したいい演出だと思った。

あと十年もしたら、あんな台詞がジョークでも何でもなくなるかも知れない。そんな時代が来るのが怖くなってきた。二世代も三世代も若い人々の作った映画が、まったく理解できなくなったらどうしよう。

邦画で字幕が必要になったりして…

ジョークにもならないこんな例えも、“50年間の昏睡状態からある日突然目覚めました”なんて人にとっては、ありえる話ではないか。50年後の日本語がどんなものなのかなんて、どうせ誰にもわからないのだし。
posted at 2005/01/29 06:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑題雑想
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