イチローが露にした悔しさの意味

2006年03月20日
 三戦目にしてやっと、日本が宿敵韓国に勝った。だがある意味、昨日の準決勝の勝利は私の予想通りの結果だった。

 例え甲子園の優勝高校とプロ野球チームの対戦でも、10戦対戦して10戦すべてをプロが勝つとは言い切れないのが野球である。

 韓国がいくら強くなっても、韓国政府がどんな物を褒美にしようとも、或る程度似通ったレベル同士の試合で片方が3戦全勝することはまず有り得ないという確率論で、日本の勝利が妥当だろうと考えていたからだ。

 で、実は話題は昨日の韓国戦勝利ではなく、先日の韓国戦敗退時にイチローが露にした悔しさである。

 彼は一体どうして、あれほどまでに悔しがったのだろう。
 


 対韓国二敗目が決まった瞬間の彼の雄たけびと「屈辱的」という言葉が、彼の一連の言動の変化と共に、私にはやけに引っ掛かった。

イチローの野球人生で「最も屈辱的な日」
〜WBC2次リーグ〜

 イチロー、悔しい。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)2次リーグ1組の日本は準決勝進出をかけ韓国と対戦。8回に2点を奪われ、9回、西岡が2号ソロを放ったが及ばず。1勝2敗となり、準決勝進出は厳しくなった。今大会“キャプテン”として期待されたイチローはこの試合、3打数1安打。通算では24打数7安打と実力を十分に発揮することはできなかった。“自力準決勝進出”を逃し、「僕の野球人生で最も屈辱的な日」と唇をかんだ
(Yahoo/スポーツ報知 2006/03/17 08:01)

 敗戦が決まった瞬間、ベンチでイチローが叫んでいたのは、たしか対韓国二敗目のこの試合であったと思う。

 相当悔しかったのだろう。しかし、シーズン中の試合でも、オリンピックでの試合でも、あれほど悔しがった選手を見たことがない。

 一体あの悔しさは何が理由なのか。色々な勝敗の組み合わせを、極端な例で考えてみる。



 ≪ケース1≫
 例えばもし、将棋の得意な小学生棋士が、あの羽生善治に挑戦する機会を運良く得たとしてのこと。果敢な挑戦者である小学生棋士が、当然のように羽生氏に負けた場合、一体どれほど悔しいだろうか。

 ≪ケース2≫
 例えばもし、将棋の得意な―と言うより長年の宿命のライバルでもある―谷川浩司が、あの羽生善治に挑戦する機会を当然のよう勝ち得たとしてのこと。或る意味宿命の対戦相手である谷川氏が、“勝負は時の運”などと評されるように羽生氏に負けた場合、一体どれほど悔しいだろうか。

 ≪ケース3≫
 例えばもし、あの羽生善治が、将棋の得意な小学生棋士に挑戦される機会を運悪いかは別に得たとしてのこと。羽生氏が、もし万が一何かの文字通り手違いで小学生棋士に負けた場合、一体どれほど悔しいだろうか。

 ≪ケース4≫
 例えばもし、将棋の得意な―と言うより長年の宿命のライバルでもある―羽生善治が、あの谷川浩司の挑戦を当然のように受けたとしてのこと。或る意味宿命のライバルである羽生氏が、長年お互いに勝ったり負けたりを繰り返してきた谷川氏に負けた場合、一体どれほど悔しいだろうか。



 極端な例である。≪ケース3≫で、例えばいくら馬鹿げたハンデを設けたとしても、羽生氏が小学生に負けることは想像できない。

 だが、そのあまりに極端な例で想像してみても、もし万が一、いや一億分の一だろうと、名人羽生があの時のイチローのように雄たけびをあげるほど悔しがるとは思えない。

 それどころか、「すごいな君、将来は名人間違いないぞ!」なんて言葉を掛け、笑って誉めてくれそうな気さえする。


 では極端な例でも何でもない普通に有り得る≪ケース4≫ではどうなのか。

 勝ったことも負けたこともあるライバルに例え負けても、礼儀正しい将棋の世界では雄たけびを叫ぶ棋士はいないはず。だが内心では、やはり或る程度は悔しいのではと思える。


 例えが極端過ぎたのか、あまりに違う世界の例えだからなのか、何か漠然としたものはやっぱり漠然としたままではある。

 ただ何となく見えてくるのは、当然のように勝てない相手に負けても、当然のように勝てる相手に負けても、どちらもそれほどには悔しさを抱かないのではないかということ。

 “勝ったり負けたり”的なそこそこ似通ったレベルでありながら、自分たちが一歩か二歩は上であり、負けないと思い込んだ時こそ、悔しさが一入なのではと思えるのだ。

 いやもっと細かく表現するならば、今まで勝って当然だと思っていた相手が、いつしか着実にレベルを上げつつあり、そして今にも自分たちを追い抜かさんばかりの勢いに感じてしまった時が、もっとも悔しさが大きく感じられるのではないかと思う。

 一度ならず二度三度の連敗は、追う側が先行する側を追い越した瞬間と位置付けられそうでもあり、それだけはなんとしても食い止めなければという焦燥感が追われる側に現れる。

 イチローが感じていた悔しさの裏には、実はそんな焦燥感があったのではないだろうか。



 数十年は遅れていたはずの韓国野球の選手たちに負けた日本野球の選手たちは、羽生氏が小学生に掛けそうな誉め言葉を、韓国の選手たちに掛ける余裕はもう無いとしか思えない。

 短期決戦独特の結果として日本が勝負運だけで韓国を上回ったとしても、今回の対韓国の対戦をたった数試合限定のリーグ戦として考えれば、データ的には韓国野球が上だったことは否めないからである。 

 そう言えば昨日の韓国戦、準決勝敗退が決まった瞬間の韓国ベンチは映像として見られなかったが、ふと映ったグランドに韓国選手が歩み出た映像の中で、彼らは応援してくれた観客席に手を振りながらグランドを去っていった。どこか清清しいものだった。

 それは韓国にとって最後の試合であったからなのか、応援してくれた観客席への感謝の意であったはず。

 ふと振り返り嫌な比較をしてみると、今回のWBC最後の試合になったかもしれない対韓国二敗目試合直後の日本チームはどうであったか。

 あの瞬間、選手たちはもうそのグランドに立てないと確信していたはずなのに、観客席の応援に感謝の意を伝えようとした選手はいなかったようである。

 生で見ていないから本当はどうだったのかは知らないが、繰り返し流された報道映像ではその瞬間そんな姿は見られなかった。

 代わりに何度も流れていたのは、ふとベンチの中で観客席の方を向きながら悔しさに雄たけびを挙げたイチローの顔である。確か彼は、観客席を見上げて叫んでいるように私には見えた。

 “悔しさを味わうことのない者は強くなれない”とは言うけれど、上達の途上である者が味わうそんな大切な悔しさとはどこか異なる。あのイチローが露にした悔しさは、そんなものとは何かが少しズレているのかも知れない。

 まぁ考え方を変えれば、今まで長い間がむしゃらにメジャーを目指し、ひたすら上を、ひたすら先行する大リーグを睨んでいた日本の野球がある程度の高みにあがり、ふと後方からかつての日本野球がメジャーに対してしていたように睨んでいる韓国に気付き、追っ手の速度を意識し始めた証拠でもあるか。

 ふむ、よく考えれば、或る意味それは日本野球がトップ集団にしっかりと食い込んでいる証拠でもあるのかも知れない。

 そう受け止めることとして、決勝に目出度く進出を決めた勇士を、情けない態度一つで責めるのはこの位で辞めることとする。

 まぁ最後の最後まで後回しにしてしまったが、とりあえずは言って置かねばなるまい。

 「日本代表の選手たちへ、決勝進出おめでとう!」

 勝ち星の数には目を瞑り、まずはアジア圏トップの座を祝う。
posted at 2006/03/20 03:21 | Comment(0) | TrackBack(1) | 報道批評
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