殺人事件の時効に関する疑問

2006年03月11日
 先日、ヤフーのトピックス選択基準に少々不安を抱きつつあったので、たまには別のポータルを覗いてみようとasahi.comを訪れてみると、ふと見つけた記事にふと考えさせられてしまった。同じ記事がヤフーに無かったわけではないが、トップに並ぶ記事はやはり微妙に異なっていた。

NYタイムズ、札幌信金事件報道
―「日本は法治国家か」―
 昨年12月に時効が成立した札幌市西区の信金職員女性殺害事件が、米有力紙ニューヨーク・タイムズに大きく取り上げられた。見出しは「In Japan, Justice Is Not Only Blind, It Holds a Stopwatch(日本の正義は不平等なだけでなく、ストップウオッチまで備えている)」。米国、英国には殺人事件には時効がないことを挙げ、日本の時効制度に疑問を投げかけた。
(asahi.com/2006/3/9 16:07)

 そうか、殺人事件の時効なんてどこか当然のように考えていたけれど、米英では存在しないのか。いやはや知らなんだ。
 


 まぁあらためて考えてみると、やはりおかしな話ではある。

 もしや死刑に値するかも知れぬ殺人事件すら、何年か何十年かの一定の時間をまんまと逃げおおせれば、いつのまにか許されてしまうというのは、やはり変な話ではある。

 だが、振り返れば当然のように何の疑いもなく、その“時効の存在”を何も考えずに受け入れていた。

 でもやはり変である。

 変であることに何も変だと思いもしなかったことこそ実は誠に変であり、そしてちと恥ずかしい。



 日本の様々な法制度ってのは、色々欧米の雛形を参考にしていると思っていたけれど、その隙間に介在する微妙な違いは一体どこから発生したのだろうか。

 殺人事件の扱いに関しても、それどころか法制度の成り立ちに関しても詳しく知らないので、その辺の変な違いを変に認識したとして、これ以上は何とも言えない。だがしかし、一旦知ってしまうとやはり不思議であり、今までのように当然のこととは受け入れにくい。

 とはいえ、何でもかんでも欧米流というのもまた変ではあるし、彼らのシステムが必ずしも正しいとは限らないのだから、時効の有無においてどちらが正しいとも私にはそう簡単には言い切れない。

 問題は少々ズレるが、例え逮捕され、そして裁判では有罪となり、そして例えば死刑が執行されたとしても、本当にその人間が有罪なのかどうかを犯人以外には誰も知らないのだし。“冤罪なんて昔はあったが、最近の裁判制度ではまずあり得ない”などとも、100%断言できる人間はいないのだ。

 一体何が本当に正しいのか。宗教観の希薄な日本人には、“神のみぞ知る”なんて言葉を使っても実感が湧かない。



 何かの微妙な違和感を一旦知ってしまったものの、それが本当に間違っているのか否か、そんなことすらはっきり断言できずに正直戸惑っていると、冒頭の記事の後半に書かれた被害者の母親の話が気にかかった。

 NYタイムズが取り上げた、時効を迎えた殺人事件の被害者の母親が、日本人記者の取材に関して語った言葉。

 一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが「時効制度に疑問を持つ人が日本に増えてくれれば」と承諾した。

 疑問を持つだけでもいいとは、それはまた控え目な。

 とはいえ、記者のお陰かその母親のお陰か、その微妙な問題に対する疑問は、しっかりと残ってしまった。
posted at 2006/03/11 22:47 | Comment(0) | TrackBack(1) | 報道批評
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「公訴時効」 ニューヨークタイムズが札幌信金事件を取上げ時効制度を批判。
Excerpt: ■ニューヨークタイムズは、昨年12月に15年の公訴時効が成立した  札幌市西区の信金職員女性殺害事件を取り上げた。
Weblog: 毎日30秒!ニュースで覚える法律用語
Tracked: 2006-03-12 14:11
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