メダリストの遺書

2004年08月22日
仕事中の車のラジオから流れる番組で、その遺書の朗読を耳にした。

≪メダリスト円谷幸吉の遺書≫
1964年東京オリンピックマラソン銅メダリスト円谷幸吉は、メキシコ大会開催間近の1968年1月9日、自らの命を絶つ。彼の遺書には、家族への事細かな礼と両親への謝まりの言葉が繰り返されていた。
(2004/08/22/文化放送/泉谷しげるのミュージックバトル)

淡々としたアナウンサーの朗読は、そのしつこいほど丁寧に繰り返される様々な人へのお礼の手紙を、淡々と読み進めていく。
 
遺書の内容は、
そのほとんどがお礼の言葉だった。
 
『父上様 母上様 三日とろろ 美味しうございました…
敏雄兄姉上様 おすし 美味しうございました…
以下同様に10名の家族へ、7食品と幾つかの世話に対し礼を記す)
幸雄君 秀雄君 幹雄君…
他14名の子供らしき名前を書き並べ)
立派な人になって下さい
父上様 母上様 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません 何卒お許し下さい…申しわけありません…
円谷幸吉(1968/01/09)』

朗読を耳にし、ある光景を思い起こした。

期待された選手が試合後、「日本」に対して謝る光景は、時に深刻なものもあったが、最近の中継ではあまり見られない。

その昔選手を見守る観客席とその背後にあったのは、一枚の巨大な日の丸だったと思う。選手は一枚の国旗を、小さな体で背負っていた。

昨今、皮肉にもサッカー競技場で見られる巨大な旗を、本気で背負う選手はいないだろう。彼らはその旗を背負わず乗っている。空飛ぶじゅうたんのように。

円谷選手が今の時代に走っていたら、どう思っただろうか。

 −・−・−・−・−・−

しかし、重圧に押し潰されての自殺だと思っていた私は、そんな単純なものではなかったことに気がついた。

今回ウェブ検索で見つけたサイト〔自殺情報サイト 太宰治〕⇒リンクと関連記事⇒リンクは、その遺書のまた別の背景を教えてくれた。

 −・−・−・−・−・−
◆彼には婚約者がいた。◆競技に差し支えると結婚を反対され、◆メキシコ大会以降に延期させられていた。◆彼女が彼の元を去り、◆前年の暮れに別の男性と結婚していた。◆帰郷した際、彼女の結婚を知ったらしい。◆故郷からの帰り道、送ってくれた兄に「もう走れない」と呟いていた。◆そのたった数日後の1月9日、官舎にて自殺した。
 −・−・−・−・−・−

長距離ランナーの孤独に耐えていた彼は、一体何の為に走っていたのだろう。

背中に感じていたのは、重圧の苦しみではなく、見守る視線の優しさだったのでは。
一枚の国旗は、彼を押し潰していたのではなく、その視線をさえぎっていたのでは。
その姿が消えたことに気づいた時はじめて、何かが彼を潰してしまったのでは…。

アテネのある観客席で、三連覇を懸けた柔道選手を応援していた一人の女性の姿を、天国の彼はどう見ていたのだろう。
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2004/08/22…by映太郎

この記事は、
YahooGeoCities版★映太郎の映像批評★
2004/08/22/Log-no0062
≪メダリストの遺書≫より移植
posted at 2004/08/22 00:00 | Comment(6) | TrackBack(0) | 放送批評
この記事へのコメント
去年の丁度今頃。同じように遺書を書いていた私は、状況・環境は違くとも、やはり御礼の言葉ばかり並べていました。遺書の真相は本人にしか。いや、本人ですら分からない状態で書かれたものだと思います。後付けで推測することは出来ますが、やはり推測でしかなくて、その時期を過ぎてしまえば、その遺書の真相は本人ですら曖昧になるものではないかと思います。そこまで辿り着けなかった彼はやはり孤独だったのではないかと。
Posted by つなみ at 2004年12月28日 16:47
それを書くことで、
その最期の時を結果として疑似体験し、思い止どまることができるとしたら、普段目にしないこのような文章も、その疑似体験の疑似体験として意味があるように思います。

“遺書を書くという行動”に至る背景は様々でも、“遺書を書くという行動”自体の背景には、必ず“耐え切れない孤独”という物が存在しているのでしょうか。
Posted by 映太郎 at 2004年12月28日 17:12
たとえ周囲に誰が支えてくれていたとしても遺書を書くまでの過程に『絶えきれない孤独』が存在するのでは?という気持ちは否定できません。周囲の存在を感じつつも、当時の私は孤独でした。
Posted by つなみ at 2004年12月28日 17:48
たった一人でも孤独を感じない人もいれば、そこに誰がいようと何人の友人がいようと、孤独にさいなまれる人もいるということでしょうか。
Posted by 映太郎 at 2004年12月28日 20:51
誰もがそうだとは思いませんが、家族がいて、気にかけてくれる友人がいるのも分かりつつ孤独感は否めませんでした。本当に辛かったです。そんな自分が存在することへの罪悪感があったからこそ、そんな自分の存在を認めてくれていた人達への御礼の言葉を並べたのだと思います。あくまで私の場合ですよ(苦笑)今は生きていて本当によかったと思っています。いまだにグレーゾーンですが、こうやって映太郎さんにも巡り会えましたからね♪
Posted by つなみ at 2004年12月29日 00:22
グレーゾーンも、
ある意味必要だと聞いたことがあります。

幼い子供にはグレーゾーンは存在せず、年齢とともにグレーゾーンを受け入れることができるようになるそうです。意味は違いますが。
Posted by 映太郎 at 2004年12月29日 00:53
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